八丁山 高知県幡多郡黒潮町 2007

先週に引き続き登山です。今回は黒潮町(旧:大方町)の低山「八丁山」に登りました。去年移住してすぐの頃、スーパー横の信号で止まった時に見つけた看板を見て、手頃な山だし海のすぐ近くなので標高が低くても、眺望が得られるだろうと踏んでいて、天気も良さそうなので昨晩から(明日は八丁山へ)と決めていました。

さて、古道という響きが先週登った「篠山」とダブり、山岳信仰をイメージさせますが、今回たどった八丁山古道は、途中の地名で、山伏峠という名前が有り、多少は古の記憶が感じられますが、それよりも生活道路という役割の方が断然多かったようです。

山集落と海集落との物々交換は経済活動の原点で、このような時、私は日本神話の「海彦、山彦」を思い出します。山道は先週の「篠山」に比べ楽で、あまり休む事もなくとぼとぼ歩いて行けます。初めの十数分は上りの連続ですが、それを過ぎると山頂まで尾根伝いの道で、フカフカの落ち葉の絨毯を歩いて行きます。眺望はあまり効かず、尾根でも雑木にさえぎられ、時々枝の間から市街地や海がチラリと見えるだけです。

頂上の少し手前にそれはありました。タコ壺です。旧日本軍陣地跡と説明札が横に有りました。1945年の日本、特に九州から関東までの太平洋岸の地域では、予想される米軍の上陸に備えて陣地構築が盛んに行われていて、ここ幡多郡でも根こそぎ動員編成の貼り付け師団による陣地構築が行われていて、先々月本屋で立ち読みした郷土史本にも、部隊配置図やその頃の様子が描かれていました。

広い入野海岸は米軍の上陸が当然予想される箇所で、海岸からすぐの八丁山には監視所が置かれていたはずで、それにまつわる何か遺構が有るのではと思っていました。なのでいきなりその説明札が目に入った時にも、「やっぱり」と思いました。下山時、家内相手にいかに戦争の理不尽だと言う事を話しながら歩いていました。

山頂からの見晴らしは、海岸方向のみ良かったですが、北側に広がって行く四国山脈への連なりはほとんど見る事は出来ませんでした。持参したお茶とチョコレートで一服した後、またゆっくり下って行きます。低山では有りながら、内容の有る山でした。次回はもう一方の起点、橘川集落から登って見る事にします。