いつものウォーキングルートを遠回りして見つけた富士市間門(新東名高架真下)の坂道入口の道しるべ。富士・富士宮地区でよく見る道祖神や馬頭観音ではありません。方向手形がお遍路道のと同じです。ひらがなで「ふじをか・・・てえしやば」と刻まれています。
てえしやば?停車場?という事は明治時代かな?と思って観察して見ると、ちゃんと明治丗九年(1906年)とありました。つまり日露戦争が終わった翌年です。



「ふじをか ●二十二丁」は富士市富士岡までの距離、二十二丁は約2.4km。道しるべ(富士市間門)から富士岡までの距離とあっています。
「てえしやば ●廿一丁」は明治22年(1889年)に東海道本線で開業した鈴川駅(後に吉原駅)の事かな?だとすると廿一丁は約2.3km?距離が違う。どこの事だろう?
・・・他に「てえしやば」的な場所は思いつかないし・・・・岳南電車(旧岳南鉄道)の岳南富士岡駅の開業は昭和26年(1951年)だし・・・・ひょっとしたら乗合馬車の停車場???明治といえば鉄道馬車や軽便鉄道だしね。
結局●印はわからなかった「字」です。うかんむり?あなかんむり?どこどこへ至る的な漢字?
※もしやと思い「富士市歴史 乗合馬車」で検索して見たら、なんとビンゴでした!「富士馬車鉄道」と言うのが明治23年(1890年)鈴川駅~新橋(吉原?)~伝法~入山瀬~天間~富士宮(大宮)間に敷設されていたようです。目的は鷹岡地区に設立された「富士製紙(現 新富士製紙)」への原料搬入と製品出荷の為だそうです。
※富士宮市立中央図書館のPDFで詳しく説明されていて、とても興味深いです。富士宮(大宮)~上井出~人穴の富士軌道にも触れていました。
参考:兎屋ブログ2023年10月10日 「 夜明けの像 2023 」