インスタグラム(2023年1/25~2/2)のコレクションカラーご説明まとめ①~⑨
①コレクションカラー紙バンドは、兎屋の手芸用紙バンドとして2003年からスタートし、常に品質の安定と向上を念頭に取り組んで来た手芸用紙バンドです。製造ロットと製造会社の事情により、春・秋の2回だけの紙バンド製造を繰り返していますが、製造後には毎回製品観察と見直しを重ねています。そして各メーカーさん、真面目に取り組んで頂いています。
手芸用紙バンドは、梱包用紙バンドのカラー版で、使用する原紙は他用途のカラー原紙の流用と言うのが私は不満でした。まぁその紙で作る事が出来るのですけどね。でも!紙バンド用の特別な紙が欲しい。手芸用紙バンドに合う紙を探し出すために2006年からの高知県移住を吉とし、高知県紙産地を歩いたのが、今のコレクションカラー紙バンドの品質向上のきっかけでした。つまり、奇跡の製紙会社との出会いでした。加工も重要だけど先ずは紙が大事だと思っていました。
②日本紙産地の3パターンについて見て見ると・・・・
1:ある町に大手メーカーが単一工場で進出しているパターンは各地にあります。旭川市 ・ 苫小牧市 ・ 八戸市 ・石巻市 ・いわき市 ・春日井市 ・川内市・等々 、日本各地の製紙工場の地理的立地を見ると時代を感じます。(木材チップ獲得に適した内陸部→燃料やパルプの大量輸入に適した沿岸部→古紙回収システムに適した都市近郊)
2:大手や中小製紙メーカー・各種紙加工会社・紙パルプ流通会社・紙関係の運輸会社や鉄工所・など町全体がバランスの取れた紙の町となるパターン。○愛媛県(四国中央市)○静岡県(富士市・富士宮市)そして規模は小さいですが、○高知県(土佐市・いの町)
3:手漉きのみ、あるいは手漉きと小規模機械漉きの両方で、世界に誇る日本伝統和紙を支えている産地、以上が日本紙産地の代表例だと思っています。
③兎屋コレクションカラー紙バンドに使用している紙は、高知県の小さな機械抄きマシン(抄紙機)から生まれています。世界的に見ても「紙」はほとんど抄紙機生産です。チップ・パルプ使用の抄紙機は、明治23年(1890年)静岡県富士郡鷹岡村(現、富士市鷹岡)に設置されたのが日本初です。このような西洋式マシン抄造による紙や西洋から輸入されていた紙が「洋紙」と呼ばれたので、「洋紙」の対義語として、歴史のある日本各地の手漉き紙の総称が便宜上「和紙」になったと思っています。

この和紙の(名前の)成り立ちがフワッとしているので、今でも和紙定義はフワフワしています。例えば、紙業界ではちょっとかっこいい感じの「機械抄き和紙」と言う言葉があります。私もこの言葉に触れて長期間疑問なく過ごして来ましたが、兎屋をスタートし、各地の中小規模製紙会社を訪ね歩いている頃から疑問に思うようになりました。機械は洋紙で手漉きは和紙だろう、なのに機械抄き和紙って何?でも高知県でなるほど!と思いあたりました。小規模製紙会社の機械って、手漉き所作を機械で再現している場面が多いのです。これは日本人の発明で←ここが凄いのです。しかし残念ながら日本各地に残っている和紙風合いを得意とする小規模製紙会社の抄紙機の紙は、紙バンドには使えないのです。 えっ!
④ 前項③で(…和紙風合いを得意とする…抄紙機の紙は、紙バンドには使えない)と書きました。では、どんな抄紙機なら良いのか?日本の紙パルプ産業は、静岡県富士市の潤井川沿いに、大手資本によって西洋式抄紙機が設置された時から始まりました。しかし和紙産地の抄紙機導入は技術・資金の問題からあまり進まず、多人数分担作業による手漉き和紙生産が盛んになったようです。しかし家内工業的な多人数分担作業を続けてうちに「抄紙機を導入したい」と思う人が現れ、時間が立てば技術革新も進むし、地域に資本が蓄積され、ついに小規模ながら抄紙機が導入され始めます。(昭和30年~40年代)
その小規模抄紙機は何を抄いていたのか?新聞用紙や出版用紙、重袋用クラフト紙、段ボール原紙等は大手製紙メーカーの独壇場です。しかし襖や障子紙、奉書紙、軽包装紙、梱包紙等は手漉きから機械抄きへの発展が容易でした。そしてあるタイプの小規模抄紙機は、紙紐原紙抄造に適していました。
⑤ 愛媛県や静岡県に多く存在感していた、紙紐原紙抄造に適したあるタイプの小規模製紙マシンは、この30年の間どんどん消えています。私が兎屋をスタートする前に勤めていた製紙会社にもこのタイプの製紙マシンがありました。そのマシンに関わったお陰で紙バンドとの出会いが有ったのですけど、そのマシンは程なくして廃棄となり今は更地です。
紙紐に使う事の出来るカラー原紙を抄く製紙会社は高知県の1社を除くと、今では愛媛県のA・Bの2社だけです。残念ながら紙バンド生産のメッカである静岡県ではカラー原紙は入手出来ません。2003年当時、兎屋のコレクションカラー紙バンドスタート時に使用していた紙も四国中央市のC社製でした。でもC社は数年後に廃業となり跡地は住宅地です。静岡県静岡市にもそのタイプの小規模製紙会社がありましたが、2012年の暮れに廃業しこちらも今では住宅地です。紙紐(紙紐・紙バンド・水引等)用の紙、これからどうなるのか気になる所です。製紙会社は今、逆風真っ只中です。
※コレクションカラー紙バンドの説明から道を少し違えて、紙を取り巻く歴史・環境の話になっています。私目線の解釈もありますが大筋間違っていないと思います。紙を支えて来た少し古い構造が変わる場面を、紙バンドから見ているのは確かです。日本発の紙バンド手芸がきっかけとなり、新しい考え方の紙製品が広まって行けば、世界に誇れる小規模製紙会社の一つの道となるのかな?と希望を持っています。
⑥ 幸いな事に宅地や更地になる事も無く2006年当時、兎屋紙バンドに必須の高知県の小規模製紙会社は健在で、出会いは宿命でした。
2002年に神奈川県藤沢市辻堂でスタートした兎屋は、「紙を探しに高知県ヘ行ったんよ」と、言う事もありますが、それは後付けです。実際は子供達の生活環境を求めて高知県幡多郡の黒潮町に移住したのです。
移住準備の為に、神奈川県と高知県との間を何度も往復しているある夜、仁淀川の橋を渡っていて急に思い出しました。(そうだっ!いの町 も紙の町やったんや!よし、移住が一段落したら いの町の紙産地を歩いて見よう!)とね。そして2002年7月末に、黒潮町ヘの移住を完了してほんの数日たったある日、ある方が訪ねて来たのです。
その方は兎屋一家と同じように、少し前に東京から黒潮町に移住して来た方で、しかも同じ町内の移住仲間としてうれしい出会いでした。「近いうちに食事会をしませんか?」とお誘いし、数日後、その方はお友達を連れて我が家にやって来ました。お友達は高知県庁にお勤めの方で、紙行政にも関わっていたそうで、大変気さくな土佐人です。兎屋紙バンドにも興味を持って下さり「何かお手伝い出来ることはありませんか?」と言われました。
そこで→「紙バンド用の紙を探しています。高知は紙の産地ですよね。どなたかご紹介して下さい」とお願いしたところ、すぐにある方をご紹介下さり、数日後いっしょに会いに行って下さいました。まだ高知県に移住して1ヶ月も経っていないタイミングでの思わぬ展開です。
⑦ ご紹介を頂いてわりと早いタイミングのある日、高知県の製紙会社を2社回って見ました。1社目の会社は、仁淀川沿いの少し規模の大きな製紙会社で、マシンは2台有りました。残念ながら紙バンドの話に興味は薄く早々に退散しました。その会社は数年後廃業しました。
2社目の製紙会社は、石灰岩質の低山に囲まれた田園地帯にありました。その地区には数社の製紙会社があります。運営責任者は私よりも年下の兄弟です。簡単な兎屋の自己紹介を早口で済ませ、製紙マシンの性質を確認し、訪ねて来た理由(コジツケゴメン)を述べてひと息つきました。そして、今度は製紙会社の兄弟の番です。
ゆっくりと丁寧な話しぶりで、内容を確認しているのかな、兄弟時々顔を見合せながら話されます。初対面ながらとても誠実性を感じました。しかも土佐弁でね。←紙の話を土佐弁で聞くと、高知県に来た感がハンパないですき。
※数年後、初めて会ったその日の私の事をどう思った?と聞いた事があります。すると兄弟は「突然やって来て、一方的に話をして去って行ったので、兄弟顔を見合せながら、あの人大丈夫かな?と思いましたよ」……まぁそんなものですね。兎屋としては、紙バンド用の紙を一緒に作って貰いたいと思っていたのですが、緊張していたのでしょう。その日の帰り道「紙を作る前に、先ず信頼関係を作ろう」と考えていました。
⑧ 日本の紙産業は、王子製紙を筆頭に大手~中規模製紙会社を中心とし、周りを東京本社の紙代理店・総合商社・専門特販店・老舗の紙問屋・等が形成し、さらに紙の加工会社(印刷・製函・製袋・各種加工)そして、新聞や書籍など出版業界、情報用紙、家庭紙…………。ふうっ………紙バンドの席は?「紙」ってあるけど目立たない。小さくて目立たない紙バンド業界向けの「紙バンド用紙」は存在せず。と言うか、そもそも紙業界のほとんどの方、紙バンドを知りません。
だからこそ、紙バンド加工と編むための手芸用紙バンドに適した「紙バンド用紙」を作るべきだと思ったのです。兎屋スタートから何年かの間は、四国中央市の紙仲間達の応援を貰いながら、紙を買っていましたが、購入紙の品質に納得した事はありませんでした。とにかくロット毎の品質ムラが多いのです。理由を聞いてもなしのつぶてでした。(まぁ想定内ですけどね)なので、やる気のある製紙会社と一緒に、紙バンドに適した紙を作りたいと、ずっと思っていました。しかし製紙会社の懐に入り込むのは難問、しかもその私でさえ手芸用紙バンドの事(紙バンド原紙の意味)は、当時まだわかっていなかったのです。
⑨ 梱包材料として紙バンドが開発されたのは1952~53年で、東京の包装資材会社さん2社の取り組みからスタートしたそうです。そして生まれた梱包用紙バンドや米袋用の紙バンドは手芸用紙バンドの先輩です。先輩は偉いのです。
1960年代に、四国・九州・山陰地方で一時的に紙バンド手芸が流行ったそうですが、数年で廃れ、それからしばらく紙バンド手芸の冬の時代となります。
今日の紙バンド手芸は1998年頃、静岡県から広まり始め今に至っています。紙バンドを作る会社は全国で6社、兎屋がお世話になっている愛媛県の1社以外はすべて静岡県です。紙バンドの生産日本一は静岡県と言う事で、そのほとんどはクラフトの紙バンドです。と言うことは、まだ20年チョッとの手芸用紙バンドは新参者で、先輩のクラフト系紙バンドの影響を(色々と)受けています。
特に紙バンド生産のメッカである静岡県では今でも(それが)普通の雰囲気ですし、兎屋もその雰囲気を当たり前としていました。しかし、お世話になっている愛媛県の紙バンド製造会社さんと一緒に、20年間何度も手芸用のカラー紙バンドを製造しているうちに疑問が出て来ました。そして何度もテストを重ねているうちに確信しました。
!梱包用と手芸用の紙バンドは全く別物である!とね。つまり先輩が歩いて来た道から離れるのです。
すると製紙会社さんと一緒に目指す紙の品質目標が自然に定まりました。このタイミングで、紙バンド原紙の意味・求める方向性が見えて来たのです。
しかし、それは抄造時のややこしいレシピ作りとなります。特に紙抄きの場面では、手間のかかる作業となっていますが、嫌な顔を全く見せない製紙兄弟には頭の下がる思いです。
兎屋コレクションカラーの品質の元は、この高知県の奇跡の製紙会社と言うことです。このような製紙会社は世界的に見ても先ずありません。日本の紙の歴史や産業構造、高知県の地理的な位置、もちろん資力も大事。そして何よりも兄弟の仕事に対する前向きで真面目な姿勢が、兎屋コレクションカラー紙バンドの元になっていることは疑いありません。断言します。
コレクションカラー紙バンドの「紙」についてのお話はこれで終わりにします。ありがとうございました。
(元のインスタグラム文に加筆訂正行っています。2024/6/9 兎屋紙バンド)