1982年(昭和57年)愛媛県四国中央市の紙代理店に入社した私は、訳の分からないまま東京支店に配属されました。その紙代理店には9年お世話になったあと転職しました。
転職先は静岡県富士宮市の特更専抄メーカーで、これが静岡県との縁の始まりでした。その製紙会社は、主に少年ジャンプの本文用紙を抄造していました。工場の目の前には富士山の湧き水が大量に流れている「潤井川」があり、富士宮市・富士市鷹岡地区の製紙工場はほとんど潤井川沿いにありました。
当時、週刊少年ジャンプは破竹の勢いで、紙を作った先から売れて行く状態でした。仕事は割と単純な巻取り製造・手配だったので、ヒマで朝は業界の日刊紙業通信を隅々まで読んでいたものです。



その日刊紙にある日妙な記事が書かれていました。1992年の事です・・・・・それが「夜明けの像」記事です。富士市鷹岡本町?近いじゃないか・・・・その記事には「・・・・日本最初の製紙マシンで、製紙マシンのラベルに描かれていた、旗を持つ人を立体の像として設置した・・・・」と言う意味の事が書かれていました。
※後に調べたら私の勘違いもあり、像はラベルから取ったものではなく、像はちゃんと本物があり、設置されている像はコピーだそうです。
また日本最初の製紙マシンも説明が必要で、東京ではすでに抄紙マシンは設置されていたけれど、原料がボロ・ワラ・くず・と言った不安定なもので、木材を機械的に処理したグランドパルプを原料とした本格的な抄紙機としては富士市鷹岡本町に設置されたマシンが機械式としては最初という事でした。
この日本最初の(グランドパルプ:GP)使用の製紙マシンの事と、記念の「夜明けの像」の事は、ずっと私の中に残っていて、車で鷹岡本町を通る度に、「夜明けの像」をチラリを見ていました。なんだか思ったよりも小さくて妙な像だなぁという印象でした。
当時販売していた、少年ジャンプ向けの古紙100%色紙の事や、ついでに担当していた富士市今泉地区にあったクラフト紙の小さな工場の事を考えていた事もあり、世界的に見ると特殊なマンガ雑誌の紙や、衰退する小規模製紙会社が作る紙ひも用のクラフト紙について、いろいろ考えていると、例の「夜明けの像」が頭をかすめていました。
夜明けの像
この少年像は明治二十二年 (1889年)にアメリカのブラッククローソン社より購入した抄紙機 のマスコット(幸運をもたらすお守り)として送られてきたものです。この抄紙機は富士製紙(現新 富士製紙)の第一号機として我が国で始めてグラウンドパルプによる新聞用紙の製造に成功した機械で一躍鷹岡地区の産業文化の夜明けをつげた意義あるものです。
現在は東京王子の紙の博物館にありますが 鷹岡本町百年を記念して再び故郷鷹岡の地に複製品としてもどってまいりました。平成四年十一月
ブログ「発祥地のコレクション」洋紙製造の発祥地 2006年11月から~