少年戦車兵慰霊碑/富士市 2022

兎屋店主は、現住所の静岡県富士市に来るまでは高知県黒潮町に住んでいました。その前は神奈川県茅ケ崎市、その前は静岡県富士宮市、その前は千葉県浦安市、独身時代は・・・・江戸川区西葛西・大阪市天王寺区、大阪府豊中市(桃山台)、大阪府豊中市(庄内)、江戸川区西葛西、東京都西東京市、愛媛県四国中央市、品川区豊町、神奈川県藤沢市、愛媛県松山市、そして生まれは愛媛県宇和島市です。

過去関わりのあった土地には親しみがあり、それぞれの土地の歴史・風土には、離れた今でも興味があります。例えば愛媛・静岡・高知・と日本の紙産地3県にまたがって移住を繰り返して来た兎屋店主にとって、ちょっと古い紙産業史を地元の方にお聞きするのは、紙の仕事をしている身にはとても為になる話で、お聞きした地域の話と日本近代史・対応する世界史を組み合わせ、時間軸の上に置きながら紙産業の成り立ちを思うのです。

富士市にある神戸交差点に架かる神戸橋 狭いながらも深い谷は事故の大きさを想像出来ます。

なので、高知県時代に始めたウォーキングでも、何かネタは無いかな?と、きょろきょろしながらいろんなルートを歩いていました。おかげで高知県幡多郡黒潮町の歴史に触れる事が度々あり、今でも思い出です。

その傾向は静岡県に引っ越して来ても変わらず、兎屋店舗を置いていた沼津市でも駅を中心にかなり細かく歩き回っていましたし、休日は自宅のある富士市を歩いています。

そして今から数年前、ある交差点脇に目立つ事なくひっそりと建つ石碑を見つけました。地域の石碑には思いがけない発見があるもので、昔の風景がしのばれる手掛かりになる場合が多く、興味を持ちながら近づいて見ました。石碑にはこう書かれていました。

故 陸軍生徒大地好道殉職の地

昭和十八年三月十一日二十時殉職

えっ! すぐに石碑の裏に回って見ました。

広島県三原市西野町●●●●-●出身 大地幸衛 長男十九歳

昭和十八年十一月 陸軍少年戦車兵学校 西川隊建立

ショックを受けました。地域のほのぼの系郷土史石碑かなと思っていたけれど、そうではなく、生々しい背景と戦時の雰囲気が伝わる内容です。そして当時の事などを合わせて思うと、ある少年が志願を思い立った当時の雰囲気、駅で送る家族の思い、事故発生から石碑建立までの経緯と家族の本当の気持ち・・・・19歳・・・父親の名前は刻まれていますが、お母さんはどう思ったのだろう。

私が石碑を見つけた数年前には富士市のHPを見ても、この石碑の事は書いていませんでしたが、今では富士市HPから令和2年のPDF資料「戦争の歴史をたどるMAP」として紹介されています。そして石碑の横には説明パネルが設置されていました。

2015年5月11日兎屋ブログ「陸軍少年戦車兵学校跡 2015」へのリンク

広告