♯11 紙バンドの町 2015

紙バンド手芸は昭和40年代にブームになったそうです。兎屋がお世話になっている愛媛県の紙加工会社M社の先代社長さんが贈答用日本酒の箱や一升瓶に掛ける水引の代用に紅白カラー紙バンドを製造し、その後手芸用としてカラーやストライプの紙バンドを作り販売活動をされていたとの事です。

愛媛県で紙バンド手芸が生まれた背景には、M社の先代社長さんの熱心な働きかけがあったのはもちろんですが、四国中央市(旧 伊予三島市・川之江市・宇摩郡土居町・宇摩郡新宮村)という紙に関わりのある地域とそこで働く多くの人々の存在が土台となっています。これが無いと紙バンド手芸は生まれなかったでしょう。

因みに現在日本で紙の町と言えば(和紙産地を除く)静岡県富士市・富士宮市と愛媛県四国中央市が挙げられ、その特徴は昔から紙を抄いて来た歴史を持ちつつ、明治~大正期に機械抄き工場へ転換した会社が多く存在し、製紙会社群の周りに、紙や紙製品を扱う会社が多い事はもちろん、製紙マシン関係の鉄工所、原料(古紙・パルプなど)、薬品、各種加工会社、運輸会社などが集中している事です。

その中で、愛媛県四国中央市は水引の産地でもあったので、梱包用クラフト紙バンドが発明された後で、カラフルな水引の影響を受け、カラー原紙を抄くことが出来る製紙会社も同時に存在したという立地から昭和40年の一時的な紙バンド手芸の発信地となっていたのです。水引文化も影響していたのです。


※水引産地とは、愛媛県四国中央市と長野県飯田市ですが、飯田市で作られている水引も紙は愛媛県四国中央市の紙です。

しかし、昭和40年代は忙しかった・・・・特に女性の方が手芸を楽しむ土壌が整っていなかった為、3年ほどでブームは去り、今の紙バンド手芸の時代になるまで地下に潜っていた?冬の時代があったという事です。

紙バンド手芸の冬の時代でも一部の方は細々と紙バンド手芸を楽しんで居られたようですが、材料は梱包用のクラフト紙バンドしかなく、カラフルなバッグを作るというより、生活用具としてのカゴ的なものか、造形制作で楽しんでいたようです。その頃にわずかに出版されていた紙バンド工作の本には驚くような高レベルの作品が掲載されています。

紙バンド加工会社は静岡県静岡市と富士市に集中しています。みなさんが手芸に使われる紙バンドはほぼ静岡産です。残念ながら紙バンド手芸の生まれた愛媛県には紙バンド加工の会社は1社しかありません。兎屋紙バンドは愛媛県産ですが、兎屋で同時に販売しているクラフト紙バンドとカラー紙バンドも静岡県産です。一方、紙バンドに使うクラフト原紙は兎屋紙バンドも含んでほとんど静岡県産ですが、カラー原紙は愛媛県産となっています。因みに兎屋コレクションカラーの原紙は唯一の高知県産です。 

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