静岡県富士宮市にあった?製紙会社の営業マンだったある日、お客さんの事務所で初めて見た手芸用のカラー紙バンド。今でもその時の状況は覚えていますし、見た瞬間(これは面白い仕事!)(この仕事に関わりたい!)と思ったのでした。
その後製紙会社を辞め、2002年春に神奈川県藤沢市で「兎屋」をスタートしました。スタートした頃「兎屋」で販売するクラフト紙バンドとカラー紙バンドは静岡県産のものでしたが、並行してオリジナルカラーの「赤ぶどう」「ちょこ」「きゃらめる」などのこだわり中間色の紙バンドを作り販売しました。当時は中間色の・・・・和の色・・・・のような紙バンドは無かったのです。

こだわりのカラー紙バンドの原紙は愛媛県の製紙会社で作って貰いました。条件は小ロット抄造が可能かどうか?でした。こだわり中間色で紙バンドを提供する事はお客さんにとっても良い事だと信じていたので外せなかったのです。まぁお金があればどんどん紙を抄いて貰えばいいけれど、私にはお金が無いので、小さく紙を抄くしかなかったのです。でも色の数は増やしたい・・・・ここが苦しいところでしたね。
※残念ながら当時カラー原紙を抄いて貰っていた製紙会社は廃業しました。
その後、紙バンド加工も自分で手配しなければならない状況になった時、静岡県以外で紙バンドを生産する会社は愛媛県のM社(四国中央市)しかない事を知り、さて困った・・・ルートが無かったのです。で、製紙会社の前に勤めていたT商事(四国中央市)の仲間に連絡し動いて貰ったのでした。もし、M社に断られていたら、始めたばかりの「兎屋」はやめる積りでいました。なので、「話だけでも聞きましょう」との返事をもらった時は、うれしい!と同時に緊張もしました。
おかげさまで、すぐにM社から良い返事を頂き、今日まで(2015年時点)13年のお付き合いをさせて頂いています。で、その13年間、M社さんとは一緒に何度も波を越えて来ました。M社にとっても手芸用紙バンドの製造は初めてだったのです。M社の社長をはじめ、M社の方達は紙や紙加工に対する意識がとても高く、そのおかげで兎屋紙バンドが仕上がっているという事です。ありがたい事です。
兎屋紙バンドでは基本小ロットのカラー原紙を使います・・・・小ロット紙を使うという事は紙が安定していないという事です。大量発注出来るのなら抄きながら調整出来ますが、小ロットだと調整する前に抄き終わることもあるのです。色の調整も難しいという事です。
また、静岡県数社の紙バンド加工会社群とは違い、M社は米袋用紙バンド製造が主力なので、手芸用紙バンドは米袋用紙バンド製造が暇な時期しか作れないという規制もあり、品質向上のチャレンジが年に2回しか出来ないという事情があったのです。
なので、紙が悪いとか、紙バンド加工の調子が出なかった場合、それらの克服は「次回に持ちこみ」になるのでした。その挑戦を13年×2回=26回やり、それなりに兎屋紙バンドを育てて来ましたが、まだ納得が行かないところもあります。そして27回目の挑戦が来週から始まるタイミングで、四国中央市へ出張して来たという事です。