製紙会社を辞め、翌日から農機具屋のお手伝いをはじめました。しかし急な展開だった為、アルバイトをしながら以前のお客さん達の所にも顔を出していたので、カラー紙バンドを始めて見た紙バンド加工会社さんへも行き「なにかアルバイトないですか?」と声を掛けて見ました。すると「紙バンド小巻の仕事があるけどやりますか?」と言う事でした。そして2001年の夏はその会社の工場で手芸用紙バンドの小巻のアルバイトをしていました。
とにかく仕事しないといけませんからね・・・・で、3ヶ月ほどアルバイトをしながら(そうだ、カラー紙バンドの仕事がしたかったんだ!)と言う事を思いだし、その時から、どうすればいいか?を考えていました。考える時間はたっぷりありましたしね。
2001年の暮れには家族で家内の実家がある神奈川県へ引っ越し、2002年春に藤沢市辻堂新町で「兎屋」をスタートさせたのです。
その後、2003年春。赤、きいろ、みどり、というような一般的な色とは違う、中間色の紙バンドを作る事にし、100万円を元手に、5色の兎屋カラー紙バンドを作りました。それが①赤ぶどう ②ちょこ ③めいぷる ④かふぇおれ ⑤きゃらめる です。当時は赤ぶどうと言うような色は無かったので、お客さんの反応は良かったですが、色は製紙工場に頼めば誰でも再現できるので、色以外でお客さんに訴える事をしなければと思っていました。
5色の兎屋紙バンドが出来た時はうれしかった。いまでも覚えていますね。