先月都内JR車内のでの風景、時間は午後2時過ぎ。ガラガラの電車内です。
まぁこんな事はよくあるけれど。ばったり「遭遇」すると(オレどうするのかな?)と思います。
若い頃はこのような場面に「遭遇」した場合は躊躇無く注意していましたが、ある時期から止めています。そして久しぶりの「遭遇」で、見て見ぬふりか?注意すべきか?もし注意するなら、横に座ってやんわり身振り手振りで注意しよう。けっして高圧的な態度はとらないよう気をつけようと考えていました。彼、外国の方なので彼の国ではフツーの事なのかもしれませんしね。(ヨシ、注意しよう)と何回も腰を浮かしかけ、でも途中で動作が止まるのです。

実はこの時、注意するかどうかの二択とは別に「もう一つの事」も考えていました。20代~30代の頃は勇気をもって注意するのが正しいのだと思っていたし、腹も立てていました。もちろん人に注意する事はハードルの高い事です。で注意しない自分こそが弱いのだとか、負けたと思いたくないので注意するを実践していたのです。
けれどもこれは自己中心的な動機です。しかも正義を背負っているので厄介です。なので注意の仕方も高圧的と言うか怒り口調でした。しかし何度も注意を繰り返すうちに疑問が生まれ、自分が人に注意出来る立場なのか?と言う思いと、人から注意された場合エラそうに言われると腹がたつなぁと思うようになり、40代に入った頃からはやんわりの注意。そしていつの頃からか人に注意するのを控えるようになりました。
注意する事は癖になります。経験で知っています。人に注意する事はハードルが高く最初は勇気がいるけれど何度も繰り返す内に感覚が麻痺し、どうでもいい事でも自分が気に食わなければすぐに注意するようになります。
これが怖い。ハードルが低くなっていますし、惰性的で単純だからです。なのでせっかくこの数年止める事が出来ていた「注意する事」をここでまた始めると、以前のようにすぐに注意する人に戻る気がして嫌だったのです。今回少し葛藤はあったけれど注意はしませんでした。これでいいのかどうかわからないけれど・・・・・・。
・ ・ ・ ・ でもね、電車座席での土足はやめてね・・・・・