この間八ヶ岳ドライブに行った時の事。平沢峠に差し掛かった所で見つけたのが「平賀源心胴塚」という石碑。
そのいかめしい名前は戦国の信濃武将です。甲斐や信濃だと武田信玄や上杉謙信がメジャーですが、地方豪族・武将等にも興味がある私は、早速碑文を読んで見ました。


・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・平賀源心胴塚歴史及び伝説海ノ口城主平賀源心成頼は天文五年十二月二十八日に武田信玄の奇襲にあい戦死した。不落を誇り武田氏をなやました海ノ口城は信玄十六才の初陣の手柄により遂に落城し源心の遺骸がこの場所に埋められていると伝えられている。又甲斐国志古墳の部には平賀源心正覚寺に牌立す。元信院求堅大居士とあり、山梨県若神子村の路傍に平賀源心の墓がある。伝説によれば首実検のため首だけ持ち帰り若神子に葬り胴はこの地に埋めたと言う。高さ約一メートル直径約四メートル位のつき山は、何万個という石が旅人により供えられている。平成元年四月南牧村百周年記念・・・・・・・・・・・・・・・
思った通りの信濃の武将です。武田信玄初陣時に打たれたのは仕方ないにしても、信玄16歳とは!今の16歳と言えば高校1年生です。うちの次男とほぼ同じ歳に戦に出て手柄を立てるなんてすごいものです。そう考えるとなんだが平賀源心が可哀そうに思えるのでした。で、海ノ口と言えば、同じ南牧村に地名があり、海ノ口城址の看板もありました。一度訪れて見たいものです。