千本閻魔堂 引接寺 2009

小倉百人一首でおなじみ
「わたの原 八十島かけて 漕ぎ出でぬと 人には告げよ 海人の釣舟」
の(参議 篁)に京都千本で遭遇するとは思いませんでした。

2008年夏、京都に行った折に見つけた観光チラシに「千本閻魔堂 」の案内が有りました。京都の寺には様々な仏像やそれに従う眷属像が多く楽しませてくれますし、メインの本尊像より周りに従う、特に異形の仏像に興味がある私は、例えば三十三間堂観音像より二十八部衆の姿、あるいは東大寺の大仏より周りを守る四天王の猛々しさにひかれます。

なのである年京都国立博物館で見た閻魔大王とその両脇に座る司令像・司録像の恐ろしげな雰囲気が好きです。昨年夏のチラシの趣旨は京都の異界がテーマで、その中で取り挙げられていたのが「千本閻魔堂」だったのです。その時は京都の夏の暑さに参ってしまい断念したので、今回京都に寄ったついでに見物しました。

京都駅から北山方面行の市バスに乗って約20分、「乾隆高前」バス停から商店街を数分歩くと閻魔堂の看板が見えて来ます。日曜午前10時はあまり人気が無く、修学旅行の子供達も閻魔堂には近寄らないようです♪と言う事で拝観料500円払って見ました。すると「どうぞ」と言われお堂の中に入ると、瀬戸内寂聴似の尼さんが私に腰掛けるように言うので祭壇の前に座ると、おもむろに閻魔堂の縁起話を始めました。

他に人はいないので1対1です。生まれてもうすぐ50年になりますが、尼さんと1対1になったのは初めてで緊張しました。お話のスタートは小野篁公の事で、当時庶民は風葬の習慣だったのを見かねて、土に埋める作業を指揮し、魂が留まる様に石を載せる事を始められたとう事です(簡単に書くとです)

百人一首では「参議 篁」となっている方が朝廷の役人で歌ばかり読んでいる人なのかと思いきや、「ウィキペディア」を見るとなかなかエライ方だった様です。

朝廷の参議と言えば高位で今風に言えば省庁の課長~次官クラスでしょう。その方が当時朱雀大路(現:千本通りだそうです)の果てに在る「蓮台野:れんだいの」に野ざらしになっている庶民の骸を憐れんで埋葬事業を行ったと尼さんに説明されると、「わたの原 八十島かけて~」の歌もひとしおです。なかなか渋い人だった様です。