わるいやつら 2009

一番はじめにちゃんと読んだ本は「水滸伝」で小学生の4年か5年の頃、割と本は好きで学校の図書室へよく通っていました。現在の様にゲームやネットが無い時代、運動が苦手なタイプの子供に残された道は「図書室」しか見当たらないと言った時代です。先ず手にしたのは(大きな字+挿絵入り)の「源平盛衰記」とか「太閤記」など日本歴史を平易に著した低学年向けの本です。このあたりの本を沢山読んでいるので、基本的な日本歴史の「順番」や「常識」はほぼ押さえていました。押さえると言っても、知識として狙っていた訳ではなくて、単に好きだったからです。簡単に言えば、「童話:桃太郎」の事をちゃんと知ってる、と言う位でしょうか。しかしそのような(大きな字+挿絵入り)の本を家に持ち帰ると、両親からよく言われたものです「大きな字だね」もちろんほめているのではなく、その言葉には(まだそんな小さい子が好む様な本を読んでいるのか?)というニュアンスが込められていて、それに反発するかのようにチョット冒険して借りたのが、「水滸伝」でした。

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しかしその本は(小さい字+挿絵無し)の本で、夕食後居間で本を読み始めて数ページで飽きてしまい「あ~つまらん、やめた」といって本を閉じた瞬間、近くにいた父がこわい顔をして私を叱りつけたのです。「ちゃんと最後まで読まないか!水滸伝は面白い本だぞ」と言うような意味だったっと思います。びっくりした私は、また読書に戻りました。すると今度は気が入ってるのでだんだん小説に引き込まれて行き、それから毎晩母親から「もう寝なさい」と言われるまで「水滸伝」を読んでいました。本の面白さを知った時でした。そうそう、母親からはこんな事も言われました「読めない漢字は前後の流れで読めるでしょう、どんどん読みなさい」もちろん読めない漢字は沢山出ていましたが、適当に読み仮名をつけたり、飛ばしたりしても本は(大体)読めると言う事も知りましたね。

その後、読む本の傾向は「歴史小説」か「ノンフィクション」が中心で、中学生の時は図書室へ行く代わりに、商店街の本屋さんへ行くのが休日の楽しみでした。中学生時代は友達の影響も有り、軽めの「星 新一」や「井上 ひさし」さんの著書を読んでいました。しかし、人気のあった「推理小説」系は何故か読む気がせず、少しは読んだ気もするけれど記憶がありません。高校や大学に入ると読書量は激減し、社会人になって再び読書の波が押し寄せて来ました。動機はただ一つ(長い通勤時間の暇つぶし)です。とは言っても読書は読書、たっぷりの電車の時間はたとえ混んで居ようとも読書する事で(耽る)事が出来る場所で、新入社員の現実逃避にはもってこいの時間でした。ただし相変わらず読書傾向は「歴史小説」か「ノンフィクション」で、この頃に新たな読書傾向として、興味を持った時代や、事件関係の新書を読むようになったと言う事です。しかし、この頃から今でもそうですが、「推理小説」系はあまり読んでいません。

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ところが去年、実家の本棚を片づけていて目に留まった「ゼロ焦点」が気になって読んだ所、実に面白い。小説の仕立てもさる事ながら、執筆されたのが昭和33年から35年(1958年~1960年)と言う事もあって、風景描写や話題、セリフなど、歴史好きな私からするとちょっとした昭和生活史で、推理と歴史が混ざった感覚でお得感があります。さすがに現代の感覚とは違って古臭いイメージはありますが、そこがまた面白いのです。と言う事で、今回読んだ「わるいやつら」も昭和35年から36年(1960年~1961年)に書かれているので、ほぼ同じような時代背景です。このようなねっとりした推理小説を次々に書いて居た松本清張さんに(あるいは同時に並行して書いて居たのでしょうか?)驚きました。内容は、かなり気の滅入る小説で、「あぁなんて私は甘い人間なんだろう」と思ってしまうのですが、話の展開がスピーディーで無駄が無く、文庫本で上下二冊を二晩でサラッと読み終えました。う~ん、ちょっと気味が悪いけど、暫く「清張もの」で楽しもうと思いました。