数日前愛媛県砥部町の実家に行きました。実はこの夏、妹が京都で家を購入したので母親も引っ越す事になり、少しづつ荷物を運んでいて、10月も私の出張に合わせて車で荷物を運ぼうと言う打ち合わせで行ったのです。父が平成8年に亡くなって以来、様々なものが出て来ましたが、引っ越し話が出始めると更に荷物の整理が進み、今年になって沢山の物を処分しています。中には昔、一族が経営していた幼稚園で使っていた蓄音器・・・・なんてのも廃棄しました。で、今回母親が「面白いものが出て来たよ、古い新聞よ、あんたは歴史が好きだから喜ぶと思うよ」と言うので「昭和30年位の?」と聞き返しながら差し出された新聞の日付を見てびっくり!なんと右から読む書体で・・・・「日七月四年二十和昭」と書かれていました。

(これはブログネタに使えるぞ・・・・ネタに飢えてます)と言うのが一番最初に思った事なのですが、いろいろ眺めているうちに1度きりのブログネタではもったいない、折角の「過去からの贈り物」です。穴があくほど読み抜いて(本当に紙魚による小さな穴がいくつかあります)、昭和12年の地方紙から時代の気分を味わって見たいと考えるようになりました。そこで、ブログのカテゴリーにも「南豫時事新聞昭和12年」と言うのを追加し、微力ながら昭和12年4月7日の愛媛県南予(ナンヨ地方と言います)の当時の中心都市宇和島の気分と、それを取り巻く世界状況や日本の置かれた環境などを検証して行く事にしました。元々歴史好きなので、私には楽しい作業になるでしょうし、背伸びせず身の丈に合った事柄を書く事に努めたいと思っています。それにパソコンの検索を駆使する事も出来ますからね。
まず南豫時事新聞についてグーグル検索して見ました。すると簡単なプロフィールが出て来ました。創刊は明治35(1902年)年3月です。で今度は明治35年を検索、すると3月の所で戦艦三笠竣工となっています。う~~~ん、いきなり来たか?戦艦三笠、横須賀市の方なら身近な軍艦ですね。戦艦三笠も検索しました。日本人(私位の年代が最後かもしれませんが)にとっては戦艦大和と共に特別な軍艦です。話がそれて行きそうですが、じつは昭和12年に通じますので寄り道も存分にします。

日清戦争で初めて外国との戦争に勝利した日本が、地勢上、列強中でも一番の陸軍国ロシアと対峙した時、歴史で習う三国干渉はまさにその時の事件ですが、歴史の授業では(ふーんそう言う事も有ったのね)的な感じでしかとらえられません。しかし当時の日本人なら「驚天動地」かなりビビる事で、激昂する国士、右翼の政府攻撃が激しくなる中で、いかに戦艦三笠の導入に当時の明治政府が苦しんだのか・・・?一度検索で「戦艦三笠」を調べて見るか、気合いを入れて「坂の上の雲/司馬遼太郎」を読破するかして見て下さい。泣けて来ますから。皆さん思っているより明治日本は弱々しく自由な国だったようです。その頃愛媛県の片隅の宇和島市で、どんな人がどんな気持ちで創刊したのか?とても興味がありますが、今では叶いませんね。ともあれ我が家においては家宝級の古新聞出現です。じっくり楽しませて貰おうと思っています。因みに母の感想「なんとも云えんねぇ」私も同じ意見でした。なんとも言えない古新聞です。