昭和20年2月夜ある地方都市の話 2008

昨日早朝から四国を回ってきました。もちろん仕事です。まず香川県高松市で打ち合わせ、その後いつもの四国中央市で打ち合わせ、夕方になり実家の有る愛媛県砥部町に行き一泊。このパターンも慣れっこになっています。で、実家に行くと母親といろんな話をするのが常ですが、今回初めて聞いた話がありました。昭和20年2月の事だそうです。

昭和20年(1945年)と言えば太平洋戦争が終了した年、日本では一般に「終戦」と呼ばれる事が多いですが、終戦と言うより実際は「敗戦」です。いや「敗戦」と言うより「完敗」の日本でした。昭和20年2月の日本の状況はすでに末期の様相ですが、その後更に3月10日東京大空襲、3月26日硫黄島玉砕、4月1日沖縄戦開始、6月23日沖縄戦終了、8月6日広島原爆投下、8月8日~9日ソ連満州と樺太に侵攻、8月9日長崎原爆投下と悲劇は続き、8月15日のポツダム宣言受諾で長かった戦争の時代にピリオドが打たれました。列記した日にち以外にも悲劇は繰り返されていて、連合国や枢軸国の戦闘員、非戦闘員などあらゆる階層、あらゆる立場の人の殺戮が行われ終了した年です。愛媛懸宇和島市と言う様な小さな地方都市でも何回も空襲を受けていました。そんな状況下の昭和20年2月の愛媛懸宇和島市の話です。


すでに庶民の娯楽なんて無い頃、それでも旅回りの一座と言うのが全国を巡っていて、母の父親(私から言えば祖父に当たる人です、面識はありません)が経営していた融通座という小屋でも戦時中でありながら芝居を見せていたようです。昭和20年の2月のある夜芝居が掛かっているという事で、当時9歳(末っ子)の母とその姉達を連れて、灯火管制が布かれた真っ暗な町を父親と一緒に提灯を下げて芝居小屋に行ったという事です。戦時下の社会と言うのは本などでしか知りませんが、母親の話は聞くだけで重苦しい物でした。町全体が真っ暗で、芝居小屋の中もほの暗い電燈の明りが少しあるだけ、しかし娯楽に飢えていた人々は芝居小屋に詰めかけていて満員だったそうです。


出し物は当然国策に沿った内容で、「アオ」と言う馬が軍に徴発され、家族が「アオ」と別れをする場面。飼い主のおじいさんが「アオよ、お国の為にがんばるのだぞ」とセリフを言い、人が扮した馬(前後2名で馬のかぶり物をかぶっている)が舞台の中央から袖へ消えて行くという箇所でそれは起こったと言う事です。場面は別れ。母親は「特にここは泣かせる所で、場内シーンとなっていたよ」と説明します。ところが馬が袖へ消えていく段になって・・・・・?前後2名の内、前半分の馬の前脚担当の人だけ歩き、何故か後ろの人は止まったまま。紙で作った?らしき馬の胴体は破れ、舞台の上は妙な事になっています。満員のお客はと言うとあっけにとられたというか、ポカ~~~~ンとしていて。と、次の瞬間場内は大爆笑に包まれたという事でした。


当時9歳の母親の中には、この光景が目に焼き付いていて。何故こんな話を夕べ私にしたかと言うと、母のその後の人生で、辛い時や苦しい時いつも思い出していたのだという事です。一晩実家に泊まり朝早く目覚めた私は、夕べの母の話を振り返っていました。そして例の芝居の事も。何故馬の後ろ足担当の人は歩かなかったのだろう?単なる間違い?それともわざと?芝居をする人達の事を想像して見ました。統制された社会、限られた芝居内容、暗い世相と恐怖、強制された言動等など。歩かなかったのはわざとかな?。せめてお客さんに大きな声で笑って欲しい。暗い世相に対する皮肉かもしれません。そして実際にお客さんは爆笑した。

その後の始末については母親は何も言っていませんでした。劇場を経営していた祖父からもそのような話(その筋からの注意など)はなかったようです。明治維新以降10年ごとに戦争をして来た日本、昭和になってからその頻度は増え、昭和20年までは毎日ずっと戦争です。


その後ろ脚の人が勝手にやった事なのか?一座で示し合わせていたのか?他の町でもやっていたのか?あるいは単純に間違いなのかはわかりませんが、少なくとも昭和20年2月の夜に爆笑した沢山の人がいた事は事実だし、後年その事を心にしまい、苦しい時に思い出して気分を紛らわせていた人も居たという話です。


芝居小屋(融通座)は空襲でも焼け残り、終戦直後には芝居小屋を巡っての地元侠客と、新興勢力とのもめごとが有ったようで、母親の家にも関西方面からの助っ人達がたくさん来たようです。こう言った旧勢力と新興勢力とのいざこざは、全国どこでも見られた事だったのでしょうね。末っ子だった母親は大人たちのそう言った風景が興味深く、上の姉たちは邪魔にされて部屋の外に追いやられていたが、末っ子だからと言う事で親たちにも警戒がなく、大人の横で話を聞いていた様です。家に来ていた粋な「姉さん」の話や東映のスターのような「助っ人」の話を時々してくれます。この話はいずれ・・・・。