夜のTUTAYA 2008

昨夜は私用の集まりが四万十市内であり、懇親会(飲み会)が終わったのが20時前、タクシー代がもったいないので家内に電話して迎えに来てもらいました。待ち合わせ場所はアーケード端の一条神社前、しばらく待っていると来ました。しかも家族全員・・・・。

ウインドブレイカーの襟を立て、顔を半分隠しています。

次男は来るだろうと思っていましたが、まさか長男まで?と思っていると、さっきまで馬術部が有り、ついでに拾って来たと言う事です、で、車に乗り込むと子供達が何やら食べています。? ハクサイ漬けです。「なんでハクサイなん?」どうやら学校の授業で作ったものが、返されて来たようで「うまい うまい りんごの味がする」と言いながら長男は食べています。一方の次男は「オレ初めて漬物食べたぜ」と言いながら食べています。ついでに兄弟そろって「TUTAYA]に寄ってくれぇ~~~~なるほど初めて漬物食べたのか(そうか食べられるようになったんか漬物)・・・・って、俺は初めて食べた漬物の事なんか覚えていないし、家内もそうだし、日本中で一体どれくらいの人が(初めて食べた漬物の事)を覚えているのかなぁ・・・。

今日のDVDにもはまっていました。確かにおかしい・・・・この二人

これは面白いぞと思いながら車は夜のTUTAYAに入って行きます。車を降りると家族それぞれ思い思いの場所に散って行き、私は雑誌コーナー、家内も同じ、長男はレンタルCD、次男は・・・・・さっきまで軍事マニアコーナーで戦車や飛行機の写真を見て居たのに・・・・と探しに行くと居ました。お笑いのDVDを流しているテレビの前に立っています。しかもウインドブレイカーの襟を立て、顔を半分隠して・・・・。お笑いのDVDを見るのはわかりますが、何故襟を立てているのでしょうか?それは笑いながら見ている自分の姿を人に見られるのが恥しいので、笑顔を隠しているのだそうです。次男はお笑い番組が好きで、毎週エンタの神様は欠かさず見ていて、いつも大笑いしています。それにしても顔を隠した小学生が、ひとりでずっとテレビの前でお笑いDVDを見ているのって・・・こっちの方が笑えます。

あまり夜に出歩かない兎屋一家ですが、こうやって夜の(といっても20時半~21時ですが)店に来てみると、いつもの雰囲気とは明らかに違っています。雑誌コーナーはすいてるし、レンタルCDの所も同じです。お笑いDVDを見ていても誰も気にしません。酔っ払った状態でふらふら店内を歩いていて見つけた本がこれ。

「土佐湾本土決戦史」地方出版コーナーに有りました。去年の夏に立ち読みした記憶が有ります。その時は「広島原爆新聞」を買って帰りました。この新聞の事は今年の原爆記念日の日記で触れようと思っています。

さてこの本、昭和20年春から夏(8月15日までの)にかけての、高知県の太平洋沿岸に築かれつつあった陣地や部隊配置図、を中心にそれにまつわる諸々の話が書かれている本です。もちろん兎屋一家が移住して来た黒潮町の事も書いてあり、私が住んでいる集落には353連隊旗奉焼云々の石碑が有りますし、去年登った八丁山の頂上手前には旧日本軍のタコ壺の跡の表示立札が有りました。当時太平洋沿岸は軒並みこのような状態だったはずで、歴史に現れる事が少ない影の郷土史であります。

参考リンク 増田周作のトラックブログ「軍旗奉焼塚―隠れたるより現るるはなし」

移住して思う事は、地域のしきたりやお祭りへの参加も大切ですが、ほんの60数年前の(まだその当時の事を生で話して下さる方は多いです)事も、知っておきたいと言う事です。私が生まれた愛媛県も、最近まで住んでいた神奈川県も、高知県も静岡県も、同じ戦争の歴史があったと言う事ですからね。去年は買わなかった本ですが、近いうちに買ってみようと思ったTUTAYAの夜でした。

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