天王寺区上本町 2007

東京や静岡へ行く機会が多い割に最近行かなくなったのが大阪。移住前までは大阪・神戸方面には時々寄っていましたが、高知移住後は行っていない事に気が付きました。まぁ用事が無いと言えばそれまでですが、大阪は好きな町です。

天王寺区上本町:短い生活期間でしたが、思い出深いところでした。

今回は母親が手術をするという事で急遽高知から駆けつけました。

20日朝6:19発の「南風」に乗って岡山で乗り継ぎ、新大阪に着いたのが11:44です。岡山~新大阪がたった1時間なのに比べ、スタートの土佐入野~岡山間はほぼ4時間掛かります。やっぱり新幹線沿線に住んでると便利だなぁ~と実感させられます。

で、さっそく梅田へ行き、地下のカレー専門店で食事を済ませ、母親が昨日から入院している天王寺区の病院へ行きました。駅は大阪市営地下鉄谷町線の谷町九丁目駅です。う~~~ん、この谷町九丁目駅は懐かしいです。20代の半ば頃、転勤で大阪に1年だけ住んでいて、初めの4か月は阪急線の「庄内」(庶民的で良い町でした。)次の3か月は御堂筋線の「桃山台」(庄内と同じ豊中市ですが、雰囲気は全く違う近代的な町でした)と引っ越しを重ね、

最後に住んだのが天王寺区上本町4丁目です。上本町の中心は上本町六丁目で、その訳は大きな上本町六丁目交差点の角に近鉄奈良線のターミナルビルが有り、その周りにショッピングセンターやらホテルが集まっています。当時25歳前後の私も交差点の脇に有るスーパーで仕事帰りに買い物をして自炊をしていました。今思えばよくやっていたなぁと自分を誉めたいですね。

さて、このあたりの地域を大阪の人は「うえろく」と呼びます。当然上本町6町目の略で、いくら私が「上本町4町目に住んでいます」と言っても「あぁうえろくね」と返される事が常で、その切り返しが面倒になり「はいそうですよ」と言ったり「はい、ギラギラモーテルとお寺の混ざった町ですよ」と返していました。同じように地域を短縮する言い方では「たによん」とか「てんろく」等と言いますが、これは東京でも同じですね。上本町は「うえろく」あたりは賑やかですが、ひとつ筋を入ると静かな町で昔は寺町だったそうです。

うえろく交差点から南へ三つ目の角を右折、坂を下る途中右手に有りました。向かいも裏もモーテルでした。

初めて引っ越して来た時も土壁の長いお寺の角を入って行く印象で、坂を下って右手に私の住んでいたアパートが有りました。築40年は軽く越しているようなアパートで、一度廃屋になったのを不動産屋さんが改修し新たに貸しアパートにした物で、丁度改修を終えて初めての入居者が私でした。名前は「憩いの森」そこらに有るプレハブのアパートとは違い、年季の入った本物の鉄筋コンクリートと古~~~い建物は、意外に住みやすくお気に入りでした。丁度夏に入居したのですが、夜、窓を開けるとわらび餅をうる声が聞こえてくるような所で、渋かったです。

今回の目的地の病院は私が昔住んでいた地区の近くですが、行った事が無い方向で、近鉄のターミナル駅の裏手に有りました。地図で確認して(なんだ、こんな近くに有ったのかぁ・・・)と歩いて行きましたが、しっかり道に迷って遠回りをしました。玄関に入る前に見上げた病院は大きく新しく堂々としていて、思はず(母を頼みます)と心に手を合わせたくなるような気持になりました。

母親は昨日から入院し、明日の手術に備えています。しかしただ寝ていると言う訳には行かず、今日も早朝から手術の為の準備が続いていたらしく、見た目にも疲れていました。私が行くと少しほっとしたような顔をしましたが、すぐに検査と言う事で病室を出て行きました。検査はとても辛い検査だそうで、麻酔もあまり効かずとても苦しいのだと言っていましたので、検査に送ってからも時間の経つのが長く感じられ、実際2時間に及ぶ検査は、手術さながらだったようで、車いすで病室に帰って来ました。で、二人でぼそぼそ明日の事など話していると、看護師さんから呼び出しを受けました。「先生からお話が有るので、面談室へ行って下さい」「?」

話の内容は特に書きませんが先生がおっしゃるには(検査の結果、手術は必要有りません、まず大丈夫です)と言う事でした。それを聞いても信じられない母はエッとした顔です。先生は詳しく丁寧に説明をして下さり、母も私も納得しました。で、こんな事は想定外、夢にも思っていなかったので、私は思わず母に「年末宝くじが当たらない訳だよ。運を使ってしまったね」と妙な事を言い、母も「いろいろ考え、もしもの事が有っても良いように手を打って準備していたけど・・・・まだ頭の整理がつかんねぇ」と言いながら嬉しそうでした。もともと悪くは無かったかもしれませんが、難しい診断で人によっても判断の分かれるような部位の手術のようでした。

ベッドに戻り二人で静かに喜びながら、連絡すべき所の打ち合わせなど済ませた後、病院内の喫茶コーナーでホットケーキを食べ終え、人心地ついた母は私に言いました。「あんた、もう帰ってや、明日も来なくていいからね」(この言葉は想定内です。絶対に言うと思ってました)病院を出るとすでに日は落ち外は暗くなっていましたが、帰りは間違わず最短距離で駅まで行けました。振り返ると路地の間から一番遠くに赤い十字が見えました。