モトチャンプ 2007

今朝発見、出たか!って感じです。何かと気の多い長男(高1)は、高校に入ったとたん馬術部に入部し、今までの釣り、虫採集、模型、爆竹?と言った趣味をほとんどしなくなり・・・・

街乗り最強かぁ・・・・・

と言うか馬の世話中心の馬術部の為、ほとんど毎日、朝から晩まで馬と一緒に過ごしています。しかし、私の影響でしょう、小さい頃からオートバイに興味が有ったのと、高知に移住して来て知ったのですが、高知県の高校のほとんどが2年生からのスクーター通学が許されているのです。

神奈川県では絶対に考えられない事です。なので最近50ccのオートバイの話を私に振って来るようになっていました。しかし学校で許されているのはスクーターでクラッチ付きのオートバイでは有りません、それでも私にオートバイ(クラッチの有る)を欲しい見たいな話をしています。当然話はこんな風になります。

高一:「おやじ、オートバイ欲しいけん」

父 :「お前、学校はスクーターじゃないといけんやろ、オートバイはダメやろ」

高一:「大丈夫、道では乗らん」

父 :「初めはみんなそう言うんや、でも乗ったら道に出たくなるの!」

高一:「俺は道に出んし」

父 :「それに、オートバイも高いぞ」

高一:「もらえるから」

父 :「そんなん貰うたらいけん、それに保険だって高いぞ」

高一:「保険は何千円だろ、小遣い貯めて自分で入る」

父 :「その保険は強制保険や、別に任意保険にはいらんといけんぞ」

高一:「大丈夫、道では乗らんから」

父 :「おまえは絶対に道で乗るね」

高一:「絶対に乗らん」

父 :「そう言ってこっそり乗ると、堂々と乗らないのでかえって危ない」

高一:「堂々と乗るから大丈夫」

父 :「ほら、乗るやないか」

高一:「絶対にのらん」

父 :「もうええ!」

私の高校時代の頃を思い出しました。基本的に高校生はオートバイに乗ってはいけないのが普通だったような気がします。私が高校時分の愛媛県も厳しかったと思います。しかし市内の高校と違い、郊外の農業高校だったので、遠方の生徒にはオートバイ通学が認められていて、そういう友人の家に行って、林道や畑で乗っていました。

カブやメイトといった実用車より、モンキーやダックスが人気で、2サイクルではスズキのハスラーやヤマハのミニトレ、しばらくすると、RDとかも出始め、みんなで遊んでいました。私の家は、かなり厳しい家だったので、オートバイやアルバイトとは絶対禁止で、ある日親友(K村君は私の一番最初のオートバイの先生でした)がアルバイトで稼いだ金と親の援助で、ホンダのCB250(ホークと言うオートバイでした)を新車で買い、当時流行のボーリングシャツをお揃いで買って、2ケツでツーリングに行こうとする瞬間を母親に見つけら、思いっきり怒られて私だけおいてけぼりで家に入った記憶が(今でも鮮明に)思い出されます。

そう言えば、今から30年前(私も先月48歳になりました)の男子高校生のやりたい事№1は、オートバイでした。スケボーもダンスも流行って無くて、このあと数年して雑誌ポパイが創刊され、新しい若者文化が広がって行ったので、その前はオートバイか車にしか興味対象がなかったような気がします。

中学校の技術の時間(男子は技術、女子は家庭科に分かれていました)に、たっぷり4サイクルエンジンと、2サイクルエンジンの仕組みを習っていたので、基本的なエンジンの仕組みはみんな知っていました。なので、どうやってオートバイを速くするかなんて事を、あたかも自分だけ知ってるぞ!みたいな話で盛り上がっていて、速い=音がでかい、の区別がつかなくて、やたらうるさく近所迷惑でした。そう言えば厳しかった私の家に、ある日ダックスを改造した友人(F本君、何してるかな?)が遊びに来て、ついでに家の周りを走り回るものだから、私は気が気じゃなく、「おまえ!静かにせいや!」って叫んだものでした。今から考えると、やっぱり私も変な高校生だったのでしょうね。

さて、現実の話。オートバイに興味を持った子供を持ったわけです。自分の頃とは違う事はさておいて、どう向き合うか。モトチャンプでも読んで考えて見る事にします。因みに2009年3月15日のブログ は「チャンプロード」です。