新宿みやげ 2007

今回の出張(東京編)では歌舞伎町のビジネスホテルに3泊しました。別に歌舞伎町でなければならない理由はないのですが、何故か予約時に他の地区で部屋がとれず、比較的部屋数の多い歌舞伎町のホテルに泊まっています。まぁ新宿の、しかも歌舞伎町のど真ん中で年に数回過ごすのも非日常的で良いかなと?と思って楽しんでいます。

さて、新宿と言えば昔からダーティーなイメージが有ります。私が学生時代(昭和50年代半ば)でもそれは同じで、当時一人で新宿に行くなんて絶対にしませんが、田舎者だった私達が連れだって遊びに行ったのはやはり新宿でした。

朝まで明るいというだけで驚きだった私達は、週末になると当時全盛だった新宿のディスコに踊りに行ったのでした。今では考えられませんが、コマ劇場の横にあった8階建てだったかな?のビルはほとんどのフロアがディスコで、「サーカスサーカス」という店や「ニューヨークシティー」(懐かしい人いるでしょう!)なんて店に行ってました。決しておしゃれな街ではなく、六本木のディスコに比べて庶民的な店が多かったので、客層も様々。とにかく若い連中が夜じゅう騒いでいました。

当時は暴走族も大暴れの時代で、千葉からやってきた「鏖」という族が特攻服&長靴という出で立ちで、ディスコに入り込んだりしていました。そうそう、ロックンロール族や竹の子族(サーファーブームも有ったな)なんかも流行っていて、それぞれ好きな曲がながれると、ソレ~~~って感じで、フロアにあふれていました。そんな新宿で遊んだり、バイトをしたりして大学を卒業したと思ったら、会社の場所が中央区京橋にあったので、あまり新宿には行かなくなっていました。

その後しばらくして、お客さんの事務所が新宿区百人町という所に引っ越した関係で、また新宿へ行くようになりました。お客さんの事務所は、歌舞伎町というより駅で言えば大久保とか新大久保と言ったエリアで、駅から路地を抜けて1km程歩くのですが、狭い道や路地ばかりを伝って行くその両側には、ヤバそうなホテルが集中していて、当時は外国(特に南米方面)からやって来たらしき人達が、辻ごとに2~3人たむろしていました。

そんな80年代後半(ソウルオリンピックの後位からだな・・・・)の新宿が、ある時期からガラッと様変わりを始めます。キーワードは「韓国」、韓人経営する店が出来始め、いつしか歌舞伎町の向こう側(新宿駅から見て)にはコリアンタウンが出現していました。東京にも昔から在日朝鮮人や在日韓国人の方は住んでいましたが、大久保に出現したコリアンタウンは新しく韓国からやって来た人達が主です。その勢いは私たち日本人の比ではなく、とにかくやって来て店を開いてガンガン働き、失敗すれば帰るのだけれどまたやって来る、成功すればますます勢いを増して、店が大きくなって、支店が出来て。その噂を聞いて、同郷の仲間や親戚がやって来るという事で、ワールドカップ共同開催とか韓流などの後押しもあって今では韓国人の町となっています。

そういった風だったので、新しいコリアンタウンはバブル後の日本人が飲んだり食べたりするにはもってこいの場所になり、ブームに沿って韓国料理店の紹介番組や雑誌の取材が始まると、その街はますます繁盛して行きました。私も2004年にハングルサークルに参加する為、当時住んでいた神奈川県から毎週新宿に通い、韓国からやって来た留学生達と交わっていました。その後、高知県に移住してしまい、サークルの仲間達とは縁遠くなっていますが、こうやって今でも歌舞伎町に来る度に、いろんな仲間を誘ってコリアンタウンで飲んだり食べたりをしています。おいしいですよ!韓国家庭料理・・・・。カジャ!