乱読が始まったのは社会人になってから、新入社員時代はテレビも無く片道2時間の通勤だったので自然と本を読むようになりました。

本は持ち運びに便利で価格の安い文庫本で、会社への行き帰りはもちろん仕事中の移動で地下鉄や電車、バスに乗っている時は必ずと言って良い程本を読んでいました。私の場合はスポーツ新聞が苦手で専ら文庫本ですが、これは別に特別な事では無くて、電車を見回すと幾人かの人は読書をしていましたし、今もそうですね。
(しかし2000年代以降はスマホが進化・普及し、電車で本を読むより、スマホを覗いている人の方が断然多いですね。私もですけど)
そういった風なので電車に乗る時に本を持っていないと不安になり、駅の本屋へ駆け込むパターンが多いです。その場合の本の選定基準はいつも同じで一冊読み切りの歴史小説と決まっています。オートバイでキャンプに行く時も、フェリーに乗って北海道へツーリングに行く時ももちろん本持参です。その場合は長編小説を持って行きますが、そういう時こそ読み返しのチャンスとばかりに、本棚から昔読んだ本を取り出しバックに放り込みます。

さて、今の子供達(ウチの長男、次男も含む)に一体どれほど日本史の知識が有るのか疑問で、最近のニュースでは先の大戦の事すら知らない子供達や若者が多いのに驚かされています。
私達の国には日本神話や源氏や平家の物語等いろいろな逸話が有り、そういった話は私の子供の頃には常識として捉えられていたと思います。例えば平家物語は長い小説で、書かれている文章も古典の知識が必要ですが、それらを平易に書き直し子供向けに書かれた本は今でも有ります。ただその本を手にする子供達が少ないという事です。壇ノ浦の話や、那須与一の話を知っている子供達(大人も?)の数は、ハリーポッターの事を知ってる子供達より少ない事は確かです。・・・・と言うような事を思っていた私が、ある日この本に出会って自らの不明を恥じてしまったと同時に、新しい事に出合った喜びも感じていました。なぜなら私の常識として、日露戦争時、遠くロシアからやって来たバルチック艦隊(正式名称は 第二太平洋艦隊)の事は知っていても、その艦隊がどのようにしてやって来て、その行く末がどのようで有ったかを知らなかったからです。

この「海の史劇」は20代後半の頃、「赤い人/吉村昭著」に触発され、たて続けに吉村作品を読んでいた時に出合った本です。
吉村昭との出会いは大阪在住の頃に見たテレビで小説「赤い人」をドラマ化した番組で、テレビを見て興味が湧き、すぐにその題材となった本を買ったのが始まりでした。
「赤い人」は明治初期の日本の刑務所(当時は集治監と言った)を舞台に、何回も脱獄を繰り返した伝説の人物を描いた小説で、主人公の事柄以外に、明治期の刑務行政の成り立ちがくわしく書かれていて、その舞台となった北海道の月形町にある「行刑資料館」には2回も行きましたよ。今は「月形樺戸博物館」名称変更したようです。
注)この記事は2007年8月3日(旧)兎屋ブログからの転載です