高知には季刊高知と言う雑誌があります。
B5変型判で表紙を入れて76頁 380円です。・・・・・・で、そこに「移住について書いて下さい」と、お世話になった方から頼まれ、駄文を提出したのが2ヶ月前。この7月から高知県下書店に置かれています。

内容はいつもこのブログ日記に書いているような事で、調子もそのままです。取り立てて(書きました)という事ではなく、肩の力を抜いたつもりですが、やはりこうやって書店に並び、改めて文章を読み返すと、力は・・・・・入っているような気がしました。
気持ちとしては少しでも高知県への移住者さんの為にと思って書いては見ましたが、季刊高知のほとんどの読者は県内の方のようで、見当は少し外れていたようにも思いました。
以下:掲載写真羅列して置きます。
『季刊高知:投稿文』
移住の実感がうすいまま1年目の夏を迎えようとしています。本当は信州が好きで八ヶ岳山麓生活を準備していたところ、ひょんな事から高知県が移住候補地として浮上、2005年暮れ下見に訪れた冬の四万十川は観光ポスターのイメージからは程遠く興味は出ませんでした。しかし翌朝神奈川県へ戻る途中に寄った入野海岸は印象的で、1ヵ月後「いつ高知へ行くの?」と言う長男の一言からすべてが始まっていました。

信州移住を念頭にどこでも仕事が出来る体制にしていたので仕事の心配は有りませんでしたが、子供達の将来について都会に比べ選択肢が少ないという事に悩み、四国移住を決心してからは仕事に便利な愛媛県四国中央市、出張に便利な高知市周辺、そして自然豊かな四万十市への移住で悩んでいました。
結局子供達の環境という一点に絞り、いよいよ家探しをする段になって移住情報の少なさに手こずりましたが、人に助けられ幡多郡黒潮町へ移住をする事が出来、移住後も人に恵まれ地元の人より地元に詳しくなる傾向です。
心配していた子供達はどんどん高知になじみ、長男は神奈川県にいる時から志望していた県立幡多農業高校へ入学を果たし馬術部で朝から晩まで休日関係無しの馬まみれになっていますし、次男も神奈川県に比べ児童数の少ない学校でびっくりしていましたが、自然に恵まれた環境でのびのび育っています。2人とも時には神奈川県時代を思い出してしんみりしていますが、そういう気持ちの揺れも含んでの移住という事だと考えています。
- 左写真 移住した日(2006/7/25)の庭でさっそく火遊び。都会ではこうは行きませんね。
- 右写真 移住後一ヶ月もしない内に東京の友人親子が来てくれました。/後川での川遊び。
さて移住1年、振り返り気になるのが立場によって温度差が有る「移住受入れ事業」(以下移住事業)で、県や各市町村の移住事業の方向はそれぞれ違っています。明治から戦後の国内外開拓移住の記憶は有る物の、いわゆる昨今の都会から地方への移住推進の歴史が浅く、まだ方法を探っている段階ですし、全国的な移住事業は歴史上ほぼ農業国だった日本が初めて経験する事ではないでしょうか。

その為、移住事業が自治体の仕事として適正かどうかの判断が確立されて無いまま、今後新たな問題が予想されます。しかし移住事業は現代日本の側面である事は明白で、事業の達成は次世代に続く事だと感じています。移住する人の自己責任は前提ですが、移住事業に関わる方々にはどうか前向きな気持ちで取り組んで頂きたいと思っています。特に高知県の移住事業は全般に他の道県に遅れを取っていますが、特徴のある立地を存分に生かせば高知県らしい独特な成功を得ると思われますし、楽しみでもあります。
冒頭で「移住の実感がうすいまま」と書きましたが、私自身移住の意味を考える時間なんて当時は全く無く、ただ移住を成功させたいという気持ちばかりで、それは移住後も変わっていません。移住後の生活設計が無ければ失敗がスグにやってくるのが移住だと思っているので実感も無いのだと思いますが、高知へ来てからの生活の実感はたっぷり有ります。さて目標の高知県での子育てが終われば今度はどこへ移住しようか?
注)この記事は2007年7月17日(旧)兎屋ブログからの転載です