高校生~大学生の頃は読書量が落ちましたが、社会人になってからは読書少年時代よりも読んでいます。で、専ら歴史物が殆どで、特に戦国時代や維新前後、第二次大戦関連のものが80%を占めています。作家は日本人が多く、一番好きな作家は「司馬遼太郎」で、ほかに「吉村昭」「大岡昇平」「高木俊朗」といった著者の本が私の本棚に並んでいます。単行本は高いし、場所もとるので文庫本を買っています。なんども読み返すので図書館で借りて読む式は取りません。

今回はこの数ヶ月読んでいた本の事を書いてみようと思います。題名は「坂の上の雲」私の好きな本です。
この本を読むために、黒船来航から始まり、維新動乱、日清戦争までの関係書物を乱読し、いよいよ読み始めたのが20代後半、仕事の行き帰りや移動の電車内で読みふけっていました。で、それから20年弱経ってまた読みはじめ、終わったのがおとといの夜。今回もジーンとしてしまいました。今回特に心に残ったところを抜粋して書いて置きます。
(坂の上の雲 文庫本8巻 頁284から抜粋)・・・・乃木は身を犠牲にすると言いつつも、台湾総督をつとめたり、晩年は伯爵になり、学習院長になったりして、貴族の子弟を教育した。
しかし好古は爵位ももらわず、しかも陸軍大将で退役したあとは自分の故郷の松山にもどり、私立の北予中学という無名の中学の校長をつとめた。黙々と六年間つとめ、東京の中学校長会議にも欠かさず出席したりした。従二位勲一等功二級陸軍大将というような極官にのぼった人間が田舎の私立中学の校長をつとめるというのは当時としては考えられぬことであった。・・・・好古が死んだとき、その知己たちまでが、「最後の武士が死んだ」といったが、パリで武士道を唱えた乃木よりもあるいは好古のほうがごく自然な武士らしさをもった男だったかもしれない・・・。 以上。
今回読書時、このくだり(ここはこの長編小説のほとんど最後の場面です)で、涙がにじんできました。それに好古の弟の真之も、日露戦役後ほど無く没しています。
この本の事はご存知の方も多いと思いますので、いまさら内容についての記述は致しませんが、解説で島田謹二氏が書いている通り、時間を掛けて資料を集め、精査し、さらに調査した結晶だと思っていて、これほどの書物を私達に残してくれた事に感謝をしながら読んでいました。20代後半時そのような気持ちでは読んでいなかった事は確かで、改めて「司馬遼太郎」のすばらしさに触れた数ヶ月でした。ただ、これほど好きな「司馬遼太郎」ですが、人気の「竜馬がゆく」は敢えて読んでいません。いろいろ人の感想を聞くに読後、竜馬への傾倒が甚だしいので、私としては(麻薬のような本)という事で、もっと年を重ねてどうにもならなくなった時に読もうと思っています。
さて、抜粋した所をお読みになって、なんとなく雰囲気がお分かりになった方は、是非読んでみてください。文中の乃木とは、日露戦役後出世し、明治帝崩御時に妻と殉死し、軍神となって祭られるようになった乃木大将の事です。太平洋戦争終了時までは、陸の乃木、海の東郷という二人の軍人がそれぞれ神となり、東京で乃木神社、東郷神社となってあがめられていますね。
軍神となった二人の心中は今更察する事は出来ませんが、そういう事で国民を教育して行き、先の大戦で沢山の人が無くなったり、近隣の国々から今でも憎まれる国として、われわれが存在している事は事実であります。「坂の上の雲」は江戸封建時代から生まれた近代日本が、いかに西洋列強の餌食に成らない為に努力した先人達の物語ですが、願いが適いロシア帝国を退けた時から、軍人や政治家、それらに追随する資本家が奢り始め、1945年の荒廃した日本への道が開けていたという事は皮肉です。
注)この記事は2007年6月5日(旧)兎屋ブログからの転載です

