愛媛県宇和島市から高知県黒潮町までのルートは2つ考えられます。一つは豊後水道を見ながら走る国道56号線でバスやトラックも使うメインルートです。もう一つは宇和島東部の田園地帯を抜け四万十川に出てそのまま川に沿って下るルートで、四万十川沿いに一部狭い箇所がありますが、近年の四万十川ブームで県外車もよく走っています。
で、この日曜日宇和島市からの帰り、(あ~ぁ どちらも飽きちゃった)という事で思い出したのが、宇和島南部地区の津島(旧:南宇和郡津島町)と高知県宿毛市(宿毛:すくも と呼びます)をつなぐ第3のルートです。この日地図を持ってなかったので頭の中に地形を描きながら分岐を見つけその道らしき方へ入って行きました。分岐の看板には(至宿毛)と出ていなかったのですが、だめなら引き返せばいいじゃんと考えながら。 暫くすると道路標識に(至宿毛)と出始めたので安心して走りました。
国道は車も多く、信号もやたらに有ります。しかし県道4号に入ったとたん、車の数が少なくなったというより車が消えて、ついでに人気もなくなりました。天気の良い日曜の午後、暫く田園の中のきれいな道をハイペースで走って行きました。

走りながら先ず考えた事は、昔はこの道がメインルートだったのではないか?と言う事です。海沿いの56号線は今でこそ整備もされ快適な道ですが、私が子供時分の昭和40年代では狭い悪路で愛媛県でもワースト1の国道だったのです。たとえば「愛媛県のバス運転手で一番上手な運転手は宇和島自動車の運転手だね」などと大人達が話していたのを覚えています。もちろん悪路走行を毎日しているからと言うわけです。
その為、宇和海沿いのリアス式海岸に点在する漁村をつなぐ道こそ有ったにせよ、伊予国から土佐国に抜ける道が、距離の有るリアス式海岸を通過する道だったとは考えにくく、それより愛媛県津島からは岩松川沿いに、高知県宿毛からは松田川沿いに広がる平野からそれぞれの川を遡り途中峠を経て互いの地域を行き来する方が自然では無いかと思ったからで、トンネルを掘る技術も資金も無い時代なら尚のこそ海岸沿いの道は打通し難かったと思います。そう言えば88箇所の寺が国道沿いと言うより、少し離れた所に有るというのもそう考えれば納得が行くというものですね。国道ではないけれど、若い番号の県道には昔の生活道路だったという道が多いようです。
注)この記事は2007年5月29日(旧)兎屋ブログからの転載です