親父の風景(有明海編) 2007

昨日5月17日(木)無事高知県へ帰って来ました。余裕スケジュールの九州旅行で久しぶりに遊んだ実感を持つ事が出来ました。旅の話は手元に写真を焼いたDVDがまだ届いていないので後日改めますが、20年ぶりの佐賀県白石町(旧:有明町)の友人の家周りの風景は、今の日本では考えられないのですが、殆ど20年前と同じでした。これには正直ビックリでした。

彼は私と同じ大学で彼は畜産を専攻し、卒業後実家の有る佐賀県有明で農業をしながら数種の会社を勤め、数年前から産直販売(おもに野菜)の会社を興し、農業と自分の会社の二足のわらじを履いています。

彼の性格から真面目で仕事をすると言うより義務感と言うか、そういう事に縛られて仕事をしている、あるいはしなければ生きていけないと言う様な環境があり、卒業してから20年以上今日まで、あるいはこれからも、朝から朝まで(夜中もラジオの深夜放送を聞きながらトラクターに乗るというような性格です)働きずくめです。

彼の田舎である佐賀県へは20年ぶりですが、数年前わたしが神奈川県藤沢市で店を開いていた時、彼が親戚の集まりか何かで上京の折り尋ねてくれ、また日を移して二人で東上野のビジネスホテルに宿を取り、深夜までいろいろ話した事がありました。その内容とはずばり「しごと」の話で、学生時代の思い出話や互いの子供の話もしますが、最後はお互いの「しごと」の話になり、酒を飲むのも忘れ、時間も過ぎるのも気づかずに果てるというような事でした。

今回彼に会うにあたり、一つ懸念が有りました。それは一体どんなペースの仕事をしてるのか?と言う事でした。

若い時は多少の無理を重ねてもなんとか体も付いてきますが、私たちも中年世代であり、あまり無理をするとチョットでは済まなくなるのが恐いのと、人の意見は全く聞かない性格なので、ドツボに嵌っているのでは?と心配していました。

会ってみれば数年前に会った時より顔色は良くなってはいましたが、仕事のペースは相変わらずで、朝から晩まで(夜中トラクターは今でも時期で乗るらしいです)働いていました。なので、朝は私がまだ寝てる時に出て行き、午後に帰るとそのまま農業をはじめ、夕食後また出て行く毎日を目の前で実践してくれました。但し、水曜日だけは会社を休むので、1週間の九州滞在のうち火曜の夜はタップリ話をする事が出来たのです。

この夜の話は殆ど農業の事でした。興味の有る話題ですし、私がどんどん質問をするので話は尽きません。話の方向性はこれからの農業についてで、山積する農業問題それぞれを掘り下げ、互いに意見を述べながら数時間を過ごすうちに、不思議な気分になって来ました。

18歳の春にたまたま同じ学生寮で顔を合わし、4年間殆ど一緒に過ごした後は、年賀状とお互いの結婚式と友人の結婚式で会ったぐらいです。それが数年前に会った時も、今回もですが、なぜ「農業の話」ばかりするんだろう?という事です。彼の今の仕事が農業で、興した会社も農産物を取り扱います。わたしは林業学科を卒業し、木材加工品たる紙パルプ業界に入り、数年前から紙関係の仕事を始めています。また長男は農業高校へ入学しました。なので互いに農業が身近にある環境では有りますが、細かい話を前置き無しで話が出来る事がやはり不思議でありました。まぁ不思議ではありますが、おもしろい時間ですし、これが学生時代の仲間であるのかもしれません。

大人びてクールな性格の彼と子供っぽい性格の私は、互いに50歳近くに成ってもその関係はあまり変わらないようです。学生時代にはそんな事は考えませんでしたが、社会に入って経験するうちに、自分の性格がかなり子供っぽいのだと幾度も実感はしていました。しかしそれを恥じ見る事をせず、むしろ誇りに思いながら今日までやっています。きっと彼も今回話をしながら「相変わらず子供っぽいのぅ」と思っていたかもしれません。久しぶりに会ったクールな親父と子供っぽい親父が「農業の話」をしている風景もまたおもしろいものです。

注)この記事は2007年5月18日(旧)兎屋ブログからの転載です