麦秋(佐賀県杵島郡) 2007

私がおとといからゴロゴロしてるN條君の家は、佐賀県杵島郡白石町 、合併前までは有明町と呼ばれていた所です。ここ佐賀平野の南端、すぐ先は日本一の干潮差が有る有明海で、干潮時干潟は遠くまで続いています。その干潮差を利用し広い干潟を埋め立て農地に変える試みは、江戸期より始まり最近まで国のプロジェクトとして続けられていました。

有明干拓地区を走る国道444を走ると、所々の地名で「何とか搦」という地名表記を見ることが多いです。この「搦」という字はあまり見る機会の無い字で、「からみ」と呼びます。

きれいな大麦の穂、収穫を終えると、稲が植えられます。

学生時代(21歳)の頃、初めて遊びに来た時には、あまりに有明海に近くて、堤防で海水を支えている印象から、もし堤防が切れたら溺れてしまうという気になり、溺れるという字に似ているこの漢字(搦)が不思議に思えていました。ただ今回友人に聞いてみるまでは、なんと読めば良いのか知らずに来ていました。

この「搦」の意味は堤防です。今から200年~400年前の干拓時の工法で作られた堤を「搦」(がらみ)と言い、その「搦」によって作られた干拓面の名称を表すときに「何とか搦」と呼び、地名として今に残っていると言うことです。江戸期から延々と作られた来た干拓地は、昭和30年代の入植を最後にし、その後干拓地改良工事が重ねられ、昭和57年に一応の完成を見ています。

友人の一家も昭和30年代に鹿児島から移住入植をした最後の組です。広い農地が広がる佐賀県南部は日本有数の農業地域です。米を初め各種野菜などを、路地あるいはハウスで栽培し九州都市圏に供給するはもちろん、近くの佐賀空港を利用し毎晩2便の貨物便が東京へ飛んでいると言う事です。

久しぶりに会った友人は毎日朝から夜中まで仕事をしています。まぁ変に気を使われるより、ほったらかしの方が私もありがたいので。昼間はゴロゴロし、時々ふらっとオートバイで出かけるという毎日を過ごしています。家にいるとどうしても仕事から離れられないので、ここでのゆっくりした日々をありがたく過ごしていますよ。

さて明日からは第2の目的地である、長崎県五島市(旧:福江市)に向かいます。

注)この記事は2007年5月13日(旧)兎屋ブログからの転載です

1件のコメント

  1. […] 干拓地かぁ・・・・戦後の食糧不足時代に食糧増産を図って全国各地で農地開発が行われましたが、ここ富士市~沼津市では古くからの苦しい湿田農業からの脱却も含め、先人達が取り組んだ事業なのです。干拓地と言えば、友達のNが住む佐賀県の有明干拓地が思い出されます。2007年5月に遊びに行った佐賀県の有明干拓地でも水との戦いを見て来たのです。干拓・・・・先人の苦労がしのばれます。 […]

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