九州に行って来ます 2007

正月もゴールデンウィークも特に予定が無く、ダラダラ過ごしていたのと、本当は3月下旬に予定していた九州行きが、仕事のゴタゴタで延期になっていたので、天気が回復しつつあるこの時とばかり、急遽九州へ行く事にしました。


目的は二つ、兎屋を開業して暫く土日関係無しの日々が続いていた頃、九州の友人が訪ねてくれ、いろいろ話をした事がありました。彼とはお互い認め合っていますが、やはりどこかで負けたくないといった気分は持っていて、それは彼も同じのようです。なので一人で始めた「兎屋」の話をしながらも、絶対に笑われないような仕事をしてやるぞと思っていました。

偶然にも彼も、ほぼ同時期に産直野菜を取り扱う会社を立ち上げた時だったので、なおさらでした。その友人とは大学時代の友人で、4年間殆ど一緒にアルバイトをしたりして、行動を共にしたいわゆる同志でも有ります。金も無く、当時はやった「花の応援団」ではないですが、女っ気も少ない私達は、キャバレーのボーイやテキヤのアルバイトを専門に、キャンパス生活とは全く縁のない生活をしていました。その為か、お互い他にも友人は居たのですが、なぜか気も合い過ごしていました。

(女っ気が無かった事の理由が、最近わかり始めました。まず金が無かった事と、もう一つは私達二人の風体が恐かったのだろうと思っています。昭和55年辺りは暴走族全盛で、ロックンロールやツッパリといった若者文化が全国に吹き荒れていた頃です。なので金が無いとは言いながら、リーゼントにしたりパンチパーマをかけたりで、たまに大学に行っても浮いていまして。そういう事が女っ気のない事につながっていたなんて、当時は知る由も無かったわけです・・・残念)

とにかく金が無かった学生時代、彼の実家から米だけは送ってもらっていたので、飯はなんとか食えていましたが、おかずは二人で80円のアジフライを分け、醤油をぶっ掛けて食べていました。キャバボー時代は夜の11時に店が終わり、掃除を済ませると飯と納豆だけは大盛の夜食が出、納豆嫌いの私はキャバレーで納豆を克服したものでした。


もう一つの目的は、初めて実店舗で兎屋紙バンドを扱って頂いたお店の方に会いに行く事です。即ち卸しのお客さんです。当初は卸をしない・・・と言うか出来ない環境での「兎屋」スタートでしたが、そのお客さんは何回も兎屋へメールをしてこられ、わたしも断り続けていましたが、その熱意とお商売の考え方に感じるものがあり、一度お会いしましょうと言った所、わざわざ九州から神奈川県藤沢市まで会いに来てくれた方です。


遠いところからわざわざ来てくれた友人とお客さんには当然会いに行きたいものです。ずっと気になっていて、今回やっと実現できる事になりました。友人は佐賀県白石町、お客さんはもっと遠い長崎県福江市の方です。せっかく行くのだから例の57年式で行こうと思っていますし。渋いルートで行こうと企んでいます。

注)この記事は2007年5月10日(旧)兎屋ブログからの転載です