山桜の木が新緑に埋もれてしまいました。山桜は一年の内で数日しか人目につかずさびしい気もしますが、全く気にも留められない木の方が多いので幸せな木なのでしょうね。古今和歌集などで詠まれた桜とは「山桜」を指します。特徴は花と一緒に葉も見えるという事で、花見客に人気の園芸種「ソメイヨシノ」ほど劇的では有りませんが、山を散策している途中、開けた場所で急に満開の山桜と遭遇する醍醐味は、日本ならではの贅沢と言えるでしょう。花見スポットも良いですが、一人で春山を歩いて見る景色は良いものです。最近はそのような場面が少なくなりましたが、中学生時代に住んでいた愛媛県松山市の自宅近くにあった小さな山によく一人で入りウロウロしていました。その時に梅や桜、桃といった樹木が割りと生えていて、小さな感動を得ていました。
ここ高知県では桜は散ってしまいましたが、これから梅雨までの期間が一番日本で良い季節と言えるのではないでしょうか?毎年この時期は田植えの時期です。お百姓さんには最も忙しい季節で申し訳ありませんが、お陰できれいに植えられた水田を見る幸せを得ています。冬の刈田から田植えまでの一連の農作業はこの所毎日です。田起こしと代かき、肥料の仕込み、一方で籾を蒔いて苗を育てる、田のあぜを整備する。など、仕事は沢山有ります。冬の間静かだった村が騒がしくなり気分もそぞろになるのです。そして田植えの終わった田があちこちに出来、今まで地面だった所が水田になり気が付くと一面鏡のようになっています。まさに「水穂の国」を実感する季節です。

さて、この水田を渡る風に乗って聞こえて来るのが選挙の声です。野暮な話ですが明日の統一地方選挙を控え大切な事で、ここ高知県幡多郡黒潮町でも選挙活動が活発です。
今回の選挙は昨年春、隣町と合併してから初めての選挙です。この町に来て1年未満の私ですが、過疎町村の抱える問題については充分知っていますし、これらの問題とどう取り組むのかは子供達の未来に関わる問題ですので興味も有ります。個々の問題はさておき、合併初の選挙で選ばれるだろう町議達の顔ぶれを見たり、聞いたりしているうちに全国共通の問題である議員定数という問題が気になっていました。ご他聞に漏れずここ黒潮町でも先の議会で定数削減が上手く行っていなかったようです。議員定数がどれぐらいが適当かは判りませんが、近くの市の議員定数が10名だと知った時、黒潮町(人口1万4千名強)の定数が20名という事に落胆しています。私としては一度少ない議員数で挑戦してみるのが良いと考えていますし、一生懸命仕事をされている議員の方なら時節柄何が大切か判ろうというものです。例えば私がいろいろな会社に行く時、先ず一番に見るのは事務所の人間の数で人件費と売上というシンプルな関係からその会社のやる気や程度の検討をつけていて殆ど間違う事はありません。風に乗って聞こえてくる選挙演説を聞きながら、夫々の議員の程度を量りますが、それ以前の議員定数問題をこの町がどう乗り越えていくのか、町の程度が試される選挙後です。
注)この記事は2007年4月21日(旧)兎屋ブログからの転載です