高知県立幡多農業高等学校 2007

日、長男の入学式が有りました。この学校に入れる為、入って貰う為にどれだけ悩み、苦労したか・・・・・。まさか高知県に移住するとは考えていなかった1年半前は2008年信州移住を心に決めて、子供の将来と進路について信州モードで考えていましたし、2008年なら長男は高校2年、途中で転校する事も当然考えていました。

学力については私と同じで、クラスでも下の方の彼の進路については、家内とたびたび衝突しながら、アレコレ悩んでいました。

入試前は殺気だった毎日で次男には悪かったですが、笑顔で入学式に向かうのを見れば、苦労も吹き飛ぶと言うものです。

普通の様に考えていたのではダメだ。と判っていても、テレビや塾の広告、先生や他の人の話を聞くたびに焦ってもいました。せめてオール3に成って欲しい、平均が3以上ならもっと選択肢は有るけど、2が並んでいるような状態では希望の高校に入ることは難しい・・・・。あぁどうしよう。

勉強はそれなりにさせてきました、公文は小学生時代ずうっと。中学になって本人の希望で公文を止して塾にも行きました。けっして手は抜いていませんし、本人もイヤイヤながらもやり遂げていました。この事は私が見てもよく頑張ったと思っています。しかしそれが成績に反映しないのです。勉強が出来ないと言うより嫌いなのです。親の言う事は無理やり聞かせて来たのですが、無理にさせてるので本人の身にはなっていないという事です。でも好きなことは自分でどんどん学んでいます。それならという事で考えたのが農業高校です。神奈川時代にも少し考えてはいましたが、神奈川県と農業が結びつきませんでした。で、当時は専ら長野県の農業高校を調べていました。特に下伊那農業高校と木曽山林高校のホームページは穴が開くほど読みましたし、木曽山林高校へは一度見に行った事も有りました。

農業高校は設立が古い所が殆どで伝統があります。一般になじみのない農業高校の底力はこれからの時代大いに発揮されるでしょう。

それが、ひょんな事から高知県移住の話が出て来て、あれよあれよと言う内に高知県へ来てしまいました。もちろん高知の話が出た時から高知県の農業高校を調べ始めていました。狙いはズバリ「高知県立幡多農業高等学校」の「園芸システム科」これに狙いを定めていました。

(私がね)それで、初めて私が高知県幡多郡四万十市にやって来て家探しを始めた時に、国道から見える丘の上の高校が「幡多農」と知った時の印象は(なんて環境の良い所に有る高校だろう!)だったのです。高知県の農業事情から始まり、日本及び日本を取り巻く農業環境も調べ、考えた上での判断です。私がお隣の愛媛県立伊予農業高等学校出身という事も大いに役に立ちました。

農業高校がどういった物か知っていました。また農学系の大学に進学していたし、こうやって紙パルプ関係の仕事にも携わっているので、普通の人より農業の事は興味が有った事も事実です。

しかし私一人舞い上がって居ても話になりません。高校へ行くのは長男です。という事で高知県へ移住する前頃から、彼に私の考えや「幡多農」の事を話し合っていました。

高知県が農業高校に掛ける意気込みは、他県とは違っているように思いました

まだ良くわからない彼にいきなり「農業高校はいいぞ」と話してもピンとくるわけはありません。当然です。しかし彼なりに進路についての不安、学力不足は感じているので黙って聞いていました。

その長男が高知県へ移住し(天国みたいな)自然にまみれた生活とぬるい中学校生活を送っていた秋のある日、進路選択活動の一環で、地元の各高校への一日体験入学が行われ、彼は「幡多農」を選び行って来たのです。そして帰宅した日の夜、となりの部屋で家内になにやら話していました。

長男「幡多農はおもしれ~ あの学校なら3年間楽しく過ごせそうだ、だからもう幡多農がいいよとか、幡多農へ行けとか言わないでくれ、オレの意志で行くから・・・・」隣の部屋で聞いていた私は心の中で( おぉ良かった、もう行けとは言わんが、これからは行く為に頑張ろう)

その日から、今度は具体的にどうやったら「幡多農」へ入学出来るか?模索する日が始まったのです。

注)この記事は2007年4月2日(旧)兎屋ブログからの転載です

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