平成4年(1992年)生まれの長男は15歳、来月から高校生です。このブログ日記にも度々登場しているので、その行動があまり一般的でない事は既に承知されている方もいらっしゃるでしょう。お陰様で今日まで個性豊かに育ちました。

高校入学までの暫くは春休みで毎日釣り、釣り、釣りと満喫しています。その彼が、黒潮町入野バス停21時過ぎ発車の夜行バス(高知西南交通)で大阪に向いました。しっかり釣竿持参です。明日の朝6:30に大阪梅田に到着し、私の友人のW夫婦が2泊3日で福井県大飯郡高浜町に誘ってくれたのです。もちろん釣りです。
このW君とはもう20年来の付き合いで、W君はまだ大学生で私も20代後半。結婚なんて考えた事が無い毎日をオートバイと共に過ごしている時期でした。W君も当時はオートバイが趣味で私もW君も東京に住んでいたので、毎週末は関東周辺の林道へ出かけていたものでした。その彼に彼女が出来、その彼女が今の奥さんで当時は奥さんもオートバイに乗っていました。私より少し早く結婚したW君ですが、その後すぐに私も結婚したのが平成2年(1990年)2年後に生まれたのが長男です。当時は千葉県浦安市弁天に住んでいました。という事は、ウチの長男の事はお腹の中にいる時から知っているという事です。
オートバイ好きの私と(家内もオートバイに乗っていました)W夫妻はキャンプも沢山やっていました。キャンプは専ら野宿専門で、キャンプ場には行かない事に決めていたので、当然水の得やすい渓流沿いの空き地(かなり山の中ですが)にテント設営となるわけです。で、目の前には岩魚などが泳いでいて、釣りに全く興味の無い私は魚を見ても「あぁ魚が泳いでる・・・・」ぐらいの感覚しかありませんが、W君は違っていました。ある時期からツーリングに釣り竿を持って行くようになり、それが段々エスカレートしてとうとう車で毎週奥さんと渓流釣りに行くようになったのです。W君はオートバイに乗らなくなったという事です。
一方私達も子供が産まれると家内はオートバイ所ではなくなりましたが、長男が1歳半になるのを待ってこちらも車でキャンプするようになり、W夫妻と合流して遊ぶようになりました。当時私達は静岡県富士宮市に引っ越したばかりで、長男のキャンプデビューは山梨県南部町の富士川支流の福士川でした。そのときの状況は良く覚えていて、行き帰りの道に不審な工場が有り、ハテと観察していると白い服を着た人達がウロウロしていた事を覚えています。それからちょっとして、そこがオウム教団の武器製造拠点だという事で警察が踏み込んだニュースが流れていました・・・・・。余談ですが。
そうやってW夫妻とキャンプと重ねているうちに、物心の付きはじめた長男はW君の後を追って歩くようになり、遺伝子的にも(私の親父が大の釣りキチだったのです)釣りキチの血がタップリ流れている長男は、だんだん釣りの道に入って行ったと言う事です。なので子供に恵まれなかったW夫妻、特にW君は事有る毎に長男と釣りで交わっていて、W夫妻が大阪に転居し、私達が神奈川県茅ヶ崎市に引っ越した時も、機会があれば釣りに誘ってくれていました。と言っても距離が離れてるので回数は少なかったのですが。それが去年私たちが高知県に引越し、仕事も落ち着いて来ると早速遊びに来てくれて、W夫妻と長男は黒潮町で釣りを楽しんでいました。
この春長男が高校に入る事が決まると、今度はW君から直接長男に釣りのお誘いが有ったと言う訳です。W君はただの友人ではありません。こうやって長~~~い歴史が有るのです。釣りを全くしない私としては、ここまで釣りの事を長男に教えてくれたW君に感謝で有ります。人のやわらかいW夫妻と明日から数日、きっと思い出の時間になると思いながら、夜行バスを見送りました。
注)この記事は2007年3月28日(旧)兎屋ブログからの転載です