移住の れ17 最終 2007

7月1日(土)最終打合せの高知へ向かいます。が、折角なので静岡県富士市とお隣の富士宮市へ寄って紙の仕事をする事にしました。神奈川県からは近かった静岡県ですが高知に移住すれば遠方の為に寄る事がままならない寂しさがあります。(コレは杞憂に終わりました。今でも静岡県富士地区へはよく行ってます)また、以前勤めていた製紙会社の女子社員達が旦那さんと子供達を連れて集まってくれる事にもなっています。今回はこの(同窓会?)がメインです。彼女達は3人セットで製紙会社時代は一生懸命仕事をしていましたし、私も助けられていました。全員とても明るく元気だったし、勢いも有るので旦那さん達は皆さん(従っています・ファイト!)

同窓会は主婦パワーで机の上には食べきれないほどの料理が載ってるし、個々に持参の料理も増えてくるのでおしゃべりメインの会食が終わった時でも料理はほとんど残っていました。夢中で話した数時間子供達はそこらで寝転がっていました。旦那さんの中にははじめてじっくりお話させて貰った方も居ましたが、話も盛り上がり楽しい時間でした。その日は女子社員宅に泊まる事にし、旦那さんと一緒の部屋で眠りました。ちょうどワールドカップの真っ只中でサッカーマニアの旦那さんは朝までテレビにかじりついていました。・・・・体大丈夫かな?。

家ばかりの神奈川県から越して来ると、こういう現実が待っています。

翌7月2日(日)8:00に富士宮市を出発し和歌山市へ向かいます。引越しを自分達でする事に決めて居り、その際私が2tトラック、家内がハイエースを運転して高知まで走るので、少しでも休めるように和歌山~徳島のフェリーの下見も兼ねています。

和歌山市は25歳の時にオートバイで通過した事があって約20年ぶりです。なにか覚えているかなと思って市内を走りましたが記憶も面影も有りませんでした。

フェリーは2時間で徳島港に入ります。そこからはいつもと同じ、下道で黒潮町まで走り到着はやっぱり深夜(今回は22:30)でした。今回は最後の詰めの打合せで、7月3日~4日の滞在です。役場に行ったり、工場で電設工事の打合せでスケジュールも詰まっていません。「家」は改装中ですが、一部屋だけ掃除して家で泊まる事にしました。今回の高知最終打合せは何も問題なくあまり特記することはありません。あとは7月25日の引っ越しを待つばかりです。

【まとめ】今回の移住については私なりに動いて、それなりに苦労もしましたが、客観的に見てとてもスムーズなケースだと思います。いろんな場面で出会いがあったり、助けられたりの連続でした。ただコレだけスムーズに移住が出来た私でも下見を入れて6回高知へ通いました。家だけじゃなく事務所を構えると言う余分も有りましたが、やはり数回で手配が完了したのは稀なケースだと思います。

さっそく大家さんにエビ獲りの手ほどきを受けました。

例えば家を探すと言っても私は1回で決める事が出来ましたが、他の人ならもっと苦労される現実を見ましたし、事務所開設にしてもまともにやればお金がいくらかかるかわかりません。タイミングが良かったのと、何回も述べてる通り出合った人達が良い人ばかりだったという、確率的にすごく良い状況が有った事が幸運を呼んだと思っています。

それだけに協力して下さった方々の期待を裏切らないように勤めなければと思っています。家内も子供たちも、ここ高知県幡多郡にドップリ浸かり田舎暮らしを楽しんでいます。これから何年この地に住むかわかりません、家内は気に入っていますが私は基本的にどこでも良い人なのでこのまま高知で人生を終えるのか?また他の土地に行くのか?・・・・・あまり考えないようにしています。

ただ毎日充実した生活はしたいと思っています。「どこに住む」と言うより、「どうやって暮らす」が問題ですからね。でも、ここ高知県幡多郡は、私が客観的に見て(良い所)と自信を持って言えますよ。  

注)この記事は2007年3月5日(旧)兎屋ブログからの転載です