
明けて5月5日(金)こどもの日:
子供達、特に長男(毎日早朝から深夜まで気が付いたら「家」の下を流れる小川にルアーを持って出かけていました)には名残惜しい高知県幡多郡ですが、今日は出発の日です。
家族で大家さん宅へ行き、大家のM本さんとやさしいお母さんにお別れのご挨拶です。どうせ7月下旬には引っ越してくるし、その日までアト2ヶ月強ですが長男は元気がありません。M本さんが冗談で「じゃあお母さんに勉強道具を送って貰って、このままここに住むか?」と言うと、本人はマジ顔で「じゃあ そうする、おかあ頼む、送ってくれ」なんて言い出す始末です。結局10:20幡多郡黒潮町を出発し、渋滞の中7時間40分かかって18:00大阪市都島区の友人宅に到着、一泊させて貰い翌6日の夕方、国道168~伊賀上野~東名阪~東名で神奈川県茅ヶ崎市に着いたのが5月7日午前1:00。ハードスケジュールの高知県往復を無事終えることが出来ました。
高知県移住作業も中盤に入り、神奈川に帰ってからは引越しの見積もりやら、移住に関する事務処理の準備も始めました。5月中は電話で高知県方面と打合せをしながら、次の現地打合せの時期を計っていました。それでも5月24日~27日は四国中央市へ出張していましたが・・・・・。
6月6日に打合せで高知県幡多郡黒潮町へ向かう事にしました。今回は高知で使う為に買った中古の軽4に乗って行きます。さすがに軽4で高知まで延々走るのは気が遠くなるので、東京→徳島のフェリーを使う事にしました。

6日の19:10東京フェリー埠頭を出港し、翌7日13:30分徳島港入港です。フェリーを使ったので元気があるのと、時間調整を兼ねて下道で黒潮町まで行く事にしました。
途中高知県長岡郡大豊町でラフティングショップを開いている友人宅に寄り、20年ぶりの再会を果たして来ました。彼女も家族で高知県へ数年前に移住して来た人で移住者としては私の先輩にあたりますね。
大豊町を18:00頃出発し途中スーパーの駐車場でパンをかじり、国道56号を走って黒潮町入野の浜の駐車場に到着したのが23:30、宿泊費をうかす為に今夜は車中で仮眠です。ラジオを点けると1242kHzのニッポン放送が東京から聞こえてきました。
明けて6月8日、おととい6日の午後15時過ぎに藤沢市辻堂の店を出てから打合せ当日まで時間が掛かっていますがコレも遠方故の事、元気に起床して顔を洗い早速行動開始。まず大家さん宅に早朝押しかけて挨拶と「家」の改装工事の進捗状態をお聞きし、そのアト四万十市へ行き、S原さん挨拶と郵便局で手続き説明を受けました。その後10:00から黒潮町役場で事務所物件の使用許可の打合せです。
午後からは地元信金にて口座開設、「家」に戻り、水道屋さん、大工さん、電設工事屋さん、と打合せ。15:00から廃工場内部を案内してもらい、大家さん(左官さん)と大工さんと内部片付けと屋根修理、ガラス入れ替えなどをお願いし、最後に電気屋さんで打合せして、すべての手配を終えたのが夕方。夕食を大家さんにご馳走になり、この日は深夜バスで京都まで出る事にしました。仕事が滞ればもう一泊高知に居る予定でしたが、お陰さまでスムーズに進み、それじゃあという事でバスを手配しました。
夕方からは雨が大降りになって来ました。大家さんに町中の温泉まで送って頂きました。温泉で食事を済ませ中村駅発20:40のバスに乗ると、翌9日の7:40には京都駅八条口に到着です。今回で4回目の高知でしたが、まだまだ打合せに通う事になります。
注)この記事は2007年2月26日(旧)兎屋ブログからの転載です