移住の を12 2007

大家さんはすぐに温厚な方だとわかりました。(よかった~)私が何も言わないうちから「どうぞご自由にお使い下さい」の連発です。大家さんの「・・・どうぞ・・・」という言葉と独特な(高知県幡多郡的な)イントネーションが印象的な一日の始まりでした。

例えば、「どうぞ」と言う場合、共通語的発音だと、「どうぞ」の「ど」から下がって行きますが、大家さんの(幡多弁?)発音は「ど」より「う」が高くなり「ぞ」で元に戻ります。同じ言葉、同じ意味で発音が違うのはおもしろい現象です。

大家さんと役場のAさん。かわいらしい家が待っていました。

大家さんの本業は左官さんです。この家は10年以上前に大家さんと大家さんの弟さんとで建てた家で、始めの1年こそは弟さんが住んでいましたが、大阪に引っ越しをされたので、その後は無住だそうです。

左官さんって何でも出来るので(・・・・なるほど 器用なものだなぁ・・・)と思ってしまうくらい丁寧に作られた家です。それに、無住の期間が長いと言っても窓の開け閉めや小修理はされていたようですし、なにより「やれ」がありません。

例えば古いハーレーを探す時、年式と走行距離のバランスで判断しますが、距離が少ないものは上等品として値が付く事と同じで、この家もかなり状態が良いと判断しました。

決して大きな家ではありませんが、とにかく環境と庭の広さと眺めが気に入りました。
家の中を見せていただいたり、裏に回って見たりしていると、大家さんが大変恐縮しておっしゃりました。「実は水道を引いていません。以前はポンプで井戸水を揚げていました。」という事は、水道を引く場合に(権利金)の支払いから始めなければならないという事です。そうこうしているうちに、あらかじめ頼んでいた水道屋さんと大工さんがやって来ました。大工さんは大家さんの仕事仲間でM本さんと言います。大家さんとM本さんと私とで家の中に入り、直してもらう箇所を相談しながら仕事をお願いして行きます。この間10数分です。それが終わると今度は水道屋さんのKさん。ポイントは水道引き込み工事とお風呂の釜の発注です。これも10分で済ませると後はやることはありません。大家さんと水道屋さんになんども頭を下げながらお別れをし、今度は役場のAさんの車で事務所予定地へ向かいます。

Aさんに連れられて向かった先は、黒潮町の入野海岸に沿った松林の中です。黒潮町市街地と4kmの砂浜を隔てている入野松原は史跡名勝記念物として文化財に指定されています。その文化財に囲まれた一角に事務所予定地がありました。

始めはなんだかわからなくて、一体どこへ連れて行かれるのだろうと思っていましたが、突然工場がある広場に出ました。

早速工場内を見させて頂く事になりました。この工場は町の管理している物件です15年ぐらい使っていない廃工場だそうです。窓は割れ、中は古い機械などが沢山置きっ放しに成っていますし、屋根も所々穴が開いていて、海沿いの為傷みは激しく、床も歪んでいました。やめよう・・・・。と思いましたが、気を取り直して中に入りました。町としては移住推進と物件の有効活用と言う事で考えているようですが、やはり相当な傷みで、コレを直して事務所として活用するのは厳しいと考えていました。私が「う~~~~ん」と唸っていると、役場のAさんが「佐野さん こちら」と言って窓を開けてくれました。そしてそこから外を眺めたあとで・・・・。

佐野 「Aさん ここに決めました。よろしくお願い致します」と言っていました。

注)この記事は2007年2月21日(旧)兎屋ブログからの転載です