移住の ぬ10 2007

高知へ3回目(2005年、暮れの下見を含めて)の旅です。前日4月22日土曜日から東京都練馬区の友人夫婦のマンションに泊まりに来ていました。この夫婦、私の仕事の事を初めの頃から知っている仲間です。2001年春会社に辞表を出した時、当時住んでいた静岡県富士宮市から西武新宿線沿いの彼達夫婦の家に時々行き、無職の現状やこれから始める紙バンドの事を沢山話していました。

紙業界の事に特に詳しくは無いけれど真剣に聞いてくれるし質問もしてくれるので、話は盛り上がり毎回夜更けまで飲みながら話していました。ほぼ1年間のフリーター時代の2001年から2002年に開業した兎屋の事など不安な事は沢山有りましたが、時々通うS藤夫婦の家での話は内容よりも、聞いて貰っているという安心感を求めて行ってたようです。実はこう行った仲間の家が都内と静岡県に数軒有り、精神的にしんどかった時代を支えてくれていました。なので、今回もわざわざ前日に友人宅に泊まってから高知へ乗り込もうと思ったのです。

23日(日曜日:手帳を見るとこの日は昼から小雨と記入していました)はダラダラ過ごし友人の家を出たのが20:00過ぎ、21:00前には東京駅到着、いつもと違う東京駅の雰囲気を味わっていました。

休日夜の東京駅は見慣れたサラリーマンの姿が見えず、替わりに新幹線を使って地方へ帰る行楽客が目立ちます。土産物を沢山かかえて構内あちこちで談笑している姿が印象的です。今回の高知行きには寝台特急「瀬戸」を利用します。学生時代には散々使った「瀬戸」は何年か前にリニューアルし「サンライズ瀬戸」と成っていてほとんどの車両が個室編成となっています。

学生時代の仲間達がスカイメイトキップを使って飛行機で田舎と東京を行き来している中、国鉄職員を父に持っていた私は断然鉄道派でした。寝台列車の旅は旅情が豊かです。飛行機や新幹線は移動の手段ですが、寝台列車は違います。乗った事の無い方は旅の目的を「寝台列車」に定め、どこかに行かれる事をお奨めします。近年のお手軽(温泉~食事~土産)の旅行では絶対に味わえない時間と空間を楽しむ事が出来るでしょう。そして其の旅行のキーワードは「寂しい」だったり「不安」だったりしますし、明けて朝もやの中を突っ走る列車の窓から見る風景は、前夜の下向きなイメージが吹っ飛んでいく快感を伴って目に飛び組んでくるでしょう。注:寝台列車の旅は一人でなさるのをお奨めします。

「サンライズ瀬戸」は東京発22:00です。寝台列車の不思議は列車に乗った瞬間から非日常が始まる事です。通過駅のホームの景色や、次の停車駅の横浜駅など人が沢山いますし、私も使っていた東海道線と同じホームと線路を使用していますが、窓から見る風景は全く違って見えます。ガラス一枚隔てただけで・・・という言い回しがピッタリです。

さて下向き思考の私を乗せて「瀬戸」はゴトゴト走って行きます。暗くした寝台個室から夜の東海道沿線を見ていると、輪をかけて気分は落ち込んできます。まぁ落ち込んでいく気分を楽しんでるとも言えますが、明日の大家さんとの事や、諸々の手配の事、事務所の事など、考えるネタは尽きず静岡駅通過の0:20までは起きていました。

明けて4月24日(月)予定通り6:27「瀬戸」は岡山駅に到着です。ここから目的地の土佐入野駅までは特急「南国」を使い、岡山発7:05~土佐入野着11:27でなんと4時間22分もかかります。四国の鉄道はほとんど電化されていませんので、「南国」もディーゼル特急です。都会の方は意味がわからないかも知れませんが、電気の力で走る「電車」ではなく軽油を焚いて走るのです。加速が悪く、特に四国山脈の険しい地形を縫って走るので音もうるさいです。ただ、景色はいいですよ。瀬戸内海大橋から讃岐平野に入り、一つ山を越えて池田に出ます。(池田あたりは町村合併で三好市になりました)池田といえば甲子園で有名な池田高校なんて思い出しながら、列車は吉野川に沿っていよいよ四国山脈にわけいります。大歩危、小歩危の地名をご存知の方もいらっしゃるでしょう。平家の落人伝説の所です。吉野川は四国三郎の異名があり急流で、その急流を利用して近年盛んなスポーツがラフティングです。

実は私の古い友人が家族で吉野川へ移住し、ラフティングのショップを開いています。という事は移住については先輩に当たります??(元々東京の人で、高知へ移住する前は群馬県に住んでいました。)
窓から吉野川の急流を眺め1時間ほどで四国山脈を越えます。高知平野に入り高知駅でほとんどの人が降りて行きました。平日の特急「南国」はお客さんも少ないので車内は急に静かになり、やけにディーゼル音が響いてきます。心の中では(ここからが本当の田舎。高知で住むのだったら幡多郡がいいよなぁ)と思いながら窓の外を見ています。高知駅を出ても暫くはふつうの郊外の風景ですが、須崎駅を過ぎた辺りから風景が濃くなって来ます。まず田園と家との割合(点在率:私が名づけました?田畑と建物との割合です)がグッと下がり、鉄橋から見る川の水が澄んで来ます。いいぞぉ と思いながらほとんど山間部を走り、やっと太平洋が見えたと思ったら目的地の土佐入野まではすぐです。昨夜東京駅を出てから13時間27分の旅でした。無人の土佐入野駅で下車し、駅前の喫茶店で昼飯を食べた後、歩いて1分の「黒潮町雇用促進協議会」に入ったのが13:00でした。
いよいよ移住へ向けての後半戦の始まりです。

注)この記事は2007年2月10日(旧)兎屋ブログからの転載です