移住の り9 2007

午後からのS原さんとの打合せの際、冒頭で午前中の黒潮町での出来事を報告させて頂きました。S原さんは「それはよかった!本当は四万十市に移住して貰いたいけど、佐野さんがよかったらそれでエイです。」と喜んで下さいました。まだ大家さんの意向もわからないし、事務所の事も全然なのですが、私としてはきっと行けると感じていました。

一方S原さんは、昨日の内に更にもう一軒、四万十市内で住居と仕事場の両立可能な物件を探して置いて下さいました。当然物件は見て置かなくては成りません。早速二人で向かいました。市内ど真ん中、お城の近くです。中は広く総2階の為部屋数も多く、使い勝手が良さそうです。午前中の黒潮町物件にはかないませんがかなりいい線行ってます。試しに磁石を出して見ました。!あぁ 北向きだぁ・・・・。 北向きは止めましょう。S原さんにも、この物件が私にとって気乗りしない理由を説明して置きました。気を悪くされるかなぁとも思いましたが、こんなに良い物件を紹介してくれた方には、あやふやな返事をするのは失礼だと思ったからです。方角は人によって気にする人、しない人いろいろですし、ヨーロッパでは北向きのアパートの方が人気が有るようです。(絨毯や壁紙の日焼けが少ないというのが大きな理由らしいです)S原さんは全然気になさる事も無く、私のおしゃべりに付き合って下さいました。

さて、さすがにS原さんも物件が尽きたようです。私もここらが潮時と思い引き揚げることにしました。事務所に帰り最後の打合せをさせて頂きました。移住者を四万十市に呼び込みたいと思っているS原さんからは、この2日でいろんな事を教わりました。物件が少ない理由や、移住者達との意志の疎通の難しさ。仕事も持っていながらのボランティア活動はご苦労の連続のようです。一生懸命なS原さんを見ていて、この方が事業を成功させて来た理由を垣間見た気がしました。最後にS原さんがおっしゃいました。

  • S原さん「もし黒潮町の物件がダメになったらウチの会社の会議室(1軒屋)が市内にあるので、それを使ってください。」
  • 私   「!   有難うございます」

打合せも終わり、神奈川県に向かってドライブが始まります。頭の中ではこの3日間の事がグルグル回っています。特にS原さんと出合った事が大きくなっていました。家の事はまだ決まっていませんが、帰りの車の中では家の事よりS原さんの事を考えていました。そしてふと思いました。取り方によっては失礼な事なのでその事をブログ日記に書こうかどうか迷いましたが、私の正直な気持ちと、S原さんのおおきな人間性を思い、あえて書いて置こうと思います。それは

私の思った事:「S原さんのお葬式には絶対に参加しよう、きっと参加してるだろうな」です。そしてこの事をいつの日か、S原さんに直接言って見たいとも思いました。

この日は、四万十市を14:00に出発し、明石海峡を19:00頃通過していました。明石大橋を走ってると、神戸~明石の夜景がきれいに見え、それと共に疲れが出て来ました。すると急に走るのが嫌になり、神戸の伯母さんに電話を入れ泊めてもらえるようになりました。(助かった・・・・)おばさんとは夜中までいろんなおしゃべりをし、次の朝は元気も回復し、中国道周りで東に向かいました。神戸学園都市を7:30にで、神奈川県藤沢市の店に到着したのが15:00でした。

さて、移住先探しのサイは投げられています。数日の内に黒潮町から電話が入り、うれしい事に住居の件は大家さんの了解が出たとの事です。一方事務所物件についても今度来られた時にお話させて下さいとのお言葉を頂いたので、早速2回目の高知行きを計画し4月23日(日曜夜)の夜行列車で行く事にしました。高知での滞在は2日と考え、この2日間で家の手入れ手配と事務所の話を決めようと考えていました。前回高知から帰ったのが14日、それから十日も経たない内にまた高知です。そして2回目の高知県幡多郡黒潮町で大家さんと初めてお会いする事になるのですが。

この大家さん私の人生の中でも・・・・あえて数字で表すならば? 「親を除いて5人以内に入る位の方でありました。」ありがたい!!

注)この記事は2007年2月9日(旧)兎屋ブログからの転載です