移住の ち8 2007

翌13日は予定通り6:00に起床し松山から幡多郡へ4時間かけて向かい、先ず四万十市で遅いモーニングを頂きました。

そして約束どおり11:00に土佐くろしお鉄道 の土佐入野駅から歩いて1分の所に有る、「黒潮町雇用促進協議会」へ入りました。今日はあいにくの雨です。さっそく物件情報書類を見せて頂きながら説明を受けましたが淡い期待はすぐに飛んでしまいました。どれも住むには厳しい物件ばかりでおととい四万十市で知った現実がここでも繰り広げられています。四万十市で直面した田舎物件探しの難しさの理由は、単に移住者に貸して貰える物件が少ないという事です。単純明快。ブツが少ないのです。これは四万十市の協議会のS原さんが一番苦労している事で

  • 「・・・・お陰様で四万十市は全国的に有名で沢山の問い合わせが有り移住希望者も多いのですが、その為の物件が出ないのです・・・」

協議会の仕事のほとんどは貸して貰えそうな物件探しと、持ち主さんとの交渉だそうです。これらはすべて表に出ない仕事で私達移住者は知らない事です。このような裏方の仕事が有って後にやっと協議会が動き始めるという事です。S原さんはボランティアでこれらを精力的に行っています。この事実を知るだけでご苦労が思われます。と言う事で、四万十市のお隣の黒潮町も状況は同じです。わずかに違いを言えば、黒潮町の方が行政が熱心だと言う事でした。・・・・それは1年経った今でも同じで四万十市は協議会こそ有りますがほとんどボランティアの方のご苦労で動いているのに比べ、黒潮町は移住推進の取り組みこそ遅かったですが、町が主体で取り組まれていて、最近はさらに熱心さが伝わっています。有名な四万十市とマイナーな黒潮町の違いでしょうか・・・・?

さて話を黒潮町雇用促進協議会の事務所に戻します。対応下さった方も申し訳なさそうにしていますが、こちらも無理を言ってお願いして来ている事ですし、諦めてそろそろ事務所を出ようと思った時です。事務所のお二人がなにやらボソボソお話をしています。

「・・・川沿いの・・・・あれは一度ダメになった・・・・今どうなってるかねぇ・・・・」私の頭の中で、大きな川のほとりにある農家の絵が浮かびました。

  • 私    「その川沿いのって、物件ですか」
  • 協議会の方「はいそうですが、正式には出ていない物件です。大家さんの意向もまだ」
  • 私    「それ 見れますか」
  • 協議会の方「外からなら見れますが、カギが無いので中は無理です」
  • 私    「是非見せてください」
  • 協議会の方「まだ貸してくださるかどうか判りませんよ」
  • 私    「いいです。ダメかどうかは後で教えてください。とにかく見せてください」

協議会の方の車に乗せて頂きその「家」へ向かいました。黒潮町の中心から国道を走って数分、途中から山へ入り1km程走って、大きなカーブを走ってる時

  • 協議会の方「あの家ですよ」 ・・・ その「家」が木立の間からチラチラッと見えました。
  • 私    瞬間(これで決まりだな)と思いました。

程なくその「家」に到着。さっそく外からガラス越しに中の様子を見ました。中はいろいろなモノが山と置かれて雑然としています。これもかなり手直しが必要な様子です。しかしおととい四万十市で沢山の物件を見て来た経験から、この物件が今まで見た中でもかなり上質なものだと判りました。ただ狭いのが気になりました・・・・。ところが振り返って庭を見、庭から見える景色を眺めた時。狭いと言う欠点も飛んでしまう位の素敵な景色が広がっていたのです。絶景では有りませんし川も小さな小川です。しかしそこには私達都会暮らしの長かった人間には贅沢な「日本の田舎」が有りました。ここまで探しに来たカイが有った・・・・。まだ大家さんともお会いしていないし・・・・いやまだ貸して下さる物件かどうかもわかっていないのに、きっとここに住む事になると思っていました。不思議ですが。

一度、黒潮町雇用促進協議会へ戻り、大変気に入ったので大家さんのご意向をお聞き願えませんかとお願いした所、ここから先は町の管轄になるので、「佐野さんが次回来られる時までにお話が出来る環境を作って置くように町へ連絡して置きます」との言葉を頂きました。また、あわせて事務所についてもアテが有るので、ちょっと時間を下さいとの事でもありました。ダメ元で訪ねた黒潮町雇用促進協議会でしたが思わぬ展開で事務所を去り、午後からの四万十市でのS原さんとの打合せに備えました。

注)この記事は2007年2月6日(旧)兎屋ブログからの転載です