移住の に4  2007

高知県幡多郡大月町の不動産物件を見た事がきっかけで、じゃあ試しに行ってみようと家族で神奈川県からやって来たのが2005年の暮れ12月29日~30日でした。

しかし大月町へは時間の関係や長距離移動の疲れで行く事はなく、宿毛市、四万十市(旧中村市)を通りすがりに眺め、四万十川と河口に広がる海を見ただけで町の見学はやめました。神奈川から2泊した後にたどり着いたので、幡多郡まで来ただけで達成感を味わってしまい、もういいやとその日は早くに寝てしまいました。

次の日、早く寝たので家族全員元気です。キャンプ場を出ると今日は一気に神奈川県まで帰ります。つまらなそうな国道は避け、海岸沿いに走る道をクネクネ行きながら景色の良い海岸に出たり、集落や漁港をつないで隣町の黒潮町に出ました。当時は大方町と言っていましたがどちらにしても聞きなれない名前です。四万十川のお陰で中村市が四万十市に変わってもなんとなく地理的には判りますが、いきなり大方町に入った所であまり印象派ありませんでした。しかし海岸沿いの道から国道に出、そのまま西に向かって300m程走って・・・・この町のこの国道、なんとなく前に来たような・・・?と思っていました。

更に1km走ると右手に道の駅の大きな駐車場とその向こうに太平洋がドーンと見えてきました。  この風景知ってるぞ・・・!

それは2000年の秋10月、ハーレーのミーティングが高知県春野町仁淀川河川敷で開催された時、仲間とフェリーで松山観光港に上陸し宇和島~宿毛を経てこの道の駅で休憩したのです。その時にオートバイを駐車した場所に駐車したとたん、二人の息子達は一目散に砂浜へ走って行きました。暮れの30日朝8:30頃の海岸には他に誰も居ません。なかなか戻って来ない子供達を堤防の上から見ながら、周りを見回すとなかなか雰囲気の良い町です。

地理や地図を見るのが好きな私は過去何回も引っ越しをしましたし、実家も数回家を建てながら引っ越しを繰り返した来た家なので、不動産を見る時には自分なりにポイントを持っています。それは不動産単体を云々する前に、先ずその町や地域の地勢も大きなポイントだという事と、第一印象を信じるという事です。まさかその時に感じた好印象の町に引っ越して来るとは夢にも思っていませんでしたが、2000年秋に一度この町を訪れていたと言う事は、黒潮町(当時は大方町)を私に印象付けたのでした。そして帰りの車中で一言

  • 私 「高知もええね」
  • 長男「あぁ・・・」

その日は一気に神奈川県まで帰り日付が変わる頃に茅ヶ崎の家に到着しました。バタバタとした年末の視察旅行でしたが、そのまま新年迎え、あわただしく仕事も再開したりで移住の事は薄くなっていました。子供達も忙しい3学期で高知に行った事は誰も口にする事は無かったのですが、一段落した2月のある日、長男が思い出したように言ったのです。

  • 長男「いつ高知に行くの?」
  • 父 「えっ 高知に行くのまだ考えて無いぞ」
  • 長男「なんだ 行くのかと思った」
  • 父 「・・・・・」

この話しを家内にしながら意向を聞いた所、家内も高知はいいねという事だったので、再度長男にたずねました。

  • 父 「お前 なんで高知に行きたいの?」
  • 長男「おもしろそうじゃん」

もし長男の返答が、「神奈川県じゃ嫌だ」とか「学校が楽しくない」等の理由ならば高知へ移住する事を検討するのはやめようと思ってたずねて居たのでした。しかし本人の理由が「おもしろそうじゃん」だったので、これはいいかも!って考えたのです。一見不真面目なようですが、(おもしろいかおもしろくないか?)これが仕事や人間関係、もちろん遊びも含めて人生の鍵じゃなかろうかと考え始めていた頃だったので、この言葉をきっかけに行動を起こして見るのも「おもしろい」と思ったのです。

この時から高知県に移住する為に必要な行動を起こす事になり、いつものように情報をサイトから集めたり、移住した後の状態を出来るだけ想像したりしました。特に移住については私の場合、単に田舎が好きだからでは理由としてはまだ未熟に思えたので、更にもう一つ移住をする精神的な柱を模索するという毎日と、子供達の未来にとって高知移住が本当に良いのかどうか?について迷う夜が続いたのです。

注)この記事は2007年1月28日(旧)兎屋ブログからの転載です