・・・ところが或る日・・・・・

2005年の秋?初冬?田舎物件サイトをあれこれ見ていました。いつものように信州八ヶ岳を中心に検索を掛けるから始まり、例えば北海道は?或いは東北は?などと他の地域の移住情報や不動産情報も眺めていました。
実は長野県八ヶ岳周辺に移住した場合の仕事の方法の一つとして、兎屋紙バンドの生産地である、愛媛県四国中央市に事務所を構えて展開をしようと考えていてその場合も不動産情報が助けになるので、相場調査も含め事務所物件を見ていましたが、当然その流れで四国方面の移住物件も見るという事になり、四国内の物件を探していました。

私がある不動産屋さんのホームページを見ていると、後を通った家内が「ここだったら私も行きたいなぁ」と言いながら去っていきました。「!」エェ!何?・・・・・? と言うのも、家内は神奈川県出身であまり関西以西になじみが無く、私も愛媛県出身と言いながら人生のほとんどを東京~静岡~神奈川で過ごして居り、田舎に帰る気は無く好きな八ヶ岳2008年移住で決めて居たのです。
仮に八ヶ岳移住が何かの理由でダメになっても、第二希望はなじみの有る静岡県富士宮市がいいなぁとも話していたので、いきなり高知県の不動産屋HPの物件写真を見て「行きたいなぁ」と言われて、何言ってるのか?と考えてしまいました。
しかしその写真をじっくり見てみると確かにいい感じです。場所は高知県幡多郡大月町椎ノ浦。宿毛市の南に位置しその先は土佐清水市、足摺岬へ通じています。愛媛県宇和郡と高知県幡多郡は四国南西部に位置し田舎だという事は知っていましたが、ここは更に田舎の様です。早速地図やネットで周辺を調べるとだんだん見えてきました。ドップリ海に浸かったような所で、山好きな私の嗜好とは趣が違いますが、移住の元々の思想が子供達の未来に掛けているので、良い所なら何処でもいいのだとは思っていました。今まではそれが八ヶ岳だったのです。

そこで試しに家族で高知県幡多郡を見に行こうという事になりました。2005年の暮れの事です。せっかく四国に行くのなら兎屋紙バンドを作って下さっている愛媛県四国中央市の会社さんに年末挨拶もしたいし、出来れば子供達に紙バンドを作っている所を見せてやりたいものだと考え、その旨のお願を紙バンド製造の会社社長さんのお願いした所、快諾下さりました。
更にせっかく実家の松山市に泊まるのだから、おいしい郷土料理も頂きましょうという事で、兎屋のお客さんで松山市在住のAさんに人気のお店の予約までして頂きました。
当時住んでいた神奈川県茅ヶ崎市を出発したのが12月27日の朝、その日は兵庫県芦屋市の友人宅で一泊。翌28日に四国中央市入りして紙バンドの会社でご挨拶と工場見学をさせて頂き、おいしいお昼もご馳走になりました。夕方からは松山に入りJR松山駅前の郷土料理店で鍋を中心とした暖かい食事をしました。その後誰も住んでいない実家で1泊後、29日いよいよ高知県幡多郡へ向かいました。
松山市から目的地の四万十市までまじめに走っても4時間以上の道のりです。高速道路は西予市(旧東宇和郡宇和町:私の本籍地です。住んだ事はないです)まで、そこからは国道56号線をひたすら南下の旅です。松山を出発したのが午前8時、宇和島市を経て途中でうどんを食べたり、景色の良い所で休んだりで四万十市到着したのは午後3時近くになっていました。さっそく四万十川を見に行きましょうと、佐田の沈下橋へ行き写真を撮ったり、沈下橋を歩いたり・・・・・?あまりおもしろくありませんでした。
その日の泊まりは、「とまろっと」というオートキャンプ場のロッジです。場所は四万十川河口に有りロッジのベランダから太平洋が広がって見えます。大変整備されているキャンプ場で、あまり自然にこだわりの無い方には清潔で良いキャンプ場だと思いました。兎屋一家はキャンプが目的ではなく単に安い宿が欲しかっただけなので、夕食も簡単に済ませさっさと寝てしまいました。結局四万十市のイメージは弱く、大月町も遠かったので見ませんでした。四万十川のキャンペーンポスターのイメージ写真を描いていたので、冬の四万十川は渋すぎて興味をかきたてるものでは有りませんでした。
とまろっと: http://www.tomarotto.com/
注)この記事は2007年1月28日(旧)兎屋ブログからの転載です