
今回から兎屋一家が高知県幡多郡へたどり着いたまでの経緯を書いて行きます。
一番初めに田舎暮らしをしたいと思ったのは、結婚して千葉県浦安市に住んで居た時です。オートバイで日本中走り回っていた頃から田舎の風景に憧れていましたし、どちらかと言うと海より山が好きでその証拠に大学進学で水産学部と林学部を選ぶ時、迷わず林学科を選んだのでした。
決してまじめな学生では有りませんでしたが、山とか旅に憧れは有り、他人が山に行ったり、徒歩旅行をした等の話しを聞くと、当時は自分の気持ちとは遠い所で生活していただけにうらやましく思ったものでした。
その反動かも知れませんが、オートバイに乗り始めると当然の如くキャンプ道具を持って林道をつなぎながら東北~関東~中部地方を回っていましたし、家内もオートバイに乗るので新婚旅行は北海道野宿ツーリングを10日にわたって敢行し北海道の田舎をめぐっていました。そういった毎日だったので近場キャンプで信州周辺に出かける度に田舎暮らしへの憧れは強くなり、田舎暮らしや土地探しの本を買って読んでいました。ところが結婚して3年目に転職し静岡県富士宮市へ引越しすると田舎暮らし熱がさめて来ました。なぜかと言うと、転職した製紙会社から提供された社宅が工場の裏に有ったのですが、それが一軒家で敷地が広く周りは空き地となっていて自由に遊んで良いと言われていたからです。まさに田舎暮らしを満喫しながらの生活なのでわざわざ信州に行く事も無く、雑木林に囲まれた日々を送っていました。例えば庭にインディアンテントを張って遊んでました。(ティピの大きさ:直径4~5m、高さ6m、材料はすべて廃品か貰った材料でした)

しかし、静岡県での生活が終わり神奈川県で兎屋を始めた時から再び田舎暮らしへの想いが出て来て、信州とりわけ八ヶ岳西南麓への移住を強く意識するようになりました。その頃から調べ事はネット検索でという世の中になり、簡単に各種情報が入手出来るので、「八ヶ岳 不動産」 とか「八ヶ岳 移住」の語句で検索を掛けていました。
移住情報を取るにはその地方の不動産情報から入っていくか、市町村のホームページから入るのが普通です。八ヶ岳周辺は東京へも近く名古屋へもスムーズに行けるので人気の土地です。そう言えば長野県を走ってると関西ナンバーの車が多いのに気が付きます。その為別荘物件も新旧たくさんありますし都会に比べて価格は安いですが、他の田舎物件価格に比べると人気地だけに割高な土地です。という事で地元の市町村はあまり移住者受け入れに熱心ではありません。ともすれば突然役場を訪ねてくる移住希望者に対しての対応もおざなりになるのは当たり前だと思っていた方が良いと思います。しかし公務員と違い業者は一般に良いです。商売だからと言えば元も子も無いですが。特に大手の不動産屋会社より、地元で昔から営業している不動産屋さんは物件を売るだけでなく、移住に関する諸々の相談なども受けてくれてる店も多く親切です。

同じ信州でも移住者にとって人気の有る無しは当然あります。八ヶ岳周辺は人気ダントツですが、その他の地域はやはり過疎化に苦しんでいて、市町村が移住者に対していろいろ働きかけをしている所もあります。長野県南佐久郡南相木村 もそのような村の一つで、村のホームページのTOPを見ると早速「別荘」という項目が有り、都会の人から見ればビックリするような条件が書いて有ったりします。
八ヶ岳周辺の別荘や土地が高いので、それを避けて南相木村のような所に歓迎されながら住むと判断される人も居るようです。 八ヶ岳方面を中心に長野県南部や岐阜県東部、山梨県西部も視野に入れネットでの物件探しが私の癖に成ったのが今から2~3年前。移住後の仕事のやり方や子供の将来も踏まえ、だんだんと具体的に考えながら家を建てる事も頭に入れて移住は2008年と決めていました。ところが或る日・・・・・。続く
注)この記事は2007年1月26日(旧)兎屋ブログからの転載です