宇和島市にて その2 2007

奇跡的に残っていた赤松遊園地の風景に気を良くし、お腹もすいたので市内に入り車を駐車場に入れます。なんと駐車料金の安い事か!30分=50円です。駅前の一等地でこの値段、これなら何時間停めても安心です。という事で先ず駅に用足しに行き、ふとロビーを見ると「牛鬼:ウシオニ」がいます。「牛鬼」とはお祭りの山車で、宇和島市を中心とした宇和郡のお祭りには必ず出てくる怪物です。顔は鬼、体は大きく首は長く、尻尾は剣です。骨組みは竹を組み合わせて作り、赤や黒の布、時には棕櫚の皮をかぶせて胴体とし、顔の鬼面に御幣をつけることで、鬼の恐いイメージから一転して悪魔ばらいをするようになっています。

牛鬼の事をウショーニンと呼ぶ人も居ますが子供時分の私はもっぱらオショーニン(きっとウショーニンがなまっていたのでしょう)と呼んで恐れていました。宇和島の子供のほとんどはみんな恐がっていたと思います。顔も恐いし迫力もありますが、それよりこの牛鬼の泣き声?が独特なんです。竹ぼらと言って孟宗竹を切って法螺にしたものを牛鬼の後から付いて歩く子供達が吹いて回るのですが、その音っと言ったら・・・。ブウォ~~ ブウォ~~ と、遠くの方から聞こえてくると(来たっ!)もう体はゾクゾクしてきます。恐いけど見てみたい、だけど恐いし・・・。通りに出て向こうから首を振りながら牛鬼がやってくると「来たぁ~~」っと言いながら家に戻り、一息付いたらまた覗きに行きます。その繰り返しをしている内にだんだん近づいて来ます。

  • 私(子供時代)(・・・・うわぁ~~来た、来た・・・)「お母さん!牛鬼来たで~」
  • 母      「戸を閉めて牛鬼が入れんようにしなさい」
  • 私(子供時代)「わかった!」
  • 母      「閉めた?」
  • 私(子供時代)「閉めたよ・・・・・なんで閉めるの?」
  • 母      「牛鬼が来たらお金をとられるけんな」
  • 私(子供時代)(・・・・・)納得していました。

(牛鬼が家々を回り玄関から首を突っ込むとその家の祓いが出来るので、家の人はお礼に口からお金を入れて賽銭としていました。ケチだった母はお金がもったいないので、お神輿や牛鬼にはお金を出さない主義を貫いていました。)

私(子供時代)「牛鬼見に行ってええかぁ」

母      「ええよ 遠くでな」

江戸時代宇和島の藩主は伊達家で仙台伊達家の親戚です。独眼流こと伊達政宗の長男:伊達秀宗が初代藩主として、遠く仙台から赴いて来ました。母方の先祖は徒歩侍(おかち:その名の通り騎士ではなく歩き専門の身分の低い侍です)として伊達家に仕えていましたが、現地採用ではなく一緒に仙台から付いてきたという事でかわいがってもらったそうです。そう言えば幕末武士は貧乏だと相場が決まっていました。とくに下級武士ならなお更でしょう。母の一族は女系が続き、躾は厳しかったようです。そうなると当然ケチは美徳だと言わんばかりの家風になるのは当然だったかもしれません。しかし子供心に思っていました。(オショーニンにお賽銭あげたらいいのに・・・・)


牛鬼話しで横道にそれました。今回で宇和島話しを終えようと思いましたが、あと1回続けます。

注)この記事は2007年1月16日(旧)兎屋ブログからの転載です。