竹林で考えた 2007

中3男子の要望で、ナマズ仕掛けを作るに必要な孟宗竹を採りに山に入る事になりました。引率は大家のM本さん。私も家内も小5男子(次男)も一緒に着いて行く事にしました。集合時間の朝9:00にM本さんちに行くと、まさか家族全員で行くとは思っていなかったM本さんは大笑いです。竹が欲しい長男、久しぶりの山歩きと展望を楽しみたい私、何か動物や野鳥に遭遇したい家内、とにかく着いて行きたい次男とそれぞれ動機は違います。家族全員着いて来たのがウザッタイ長男は少し不機嫌でした。まぁそんな奴は無視し、M本さんの計らいで急な坂道ルートは止して、ゆるい遠回りコースを辿る事になりました。

M本さんは「目的地まで約1時間、かなりキツイですよ」と言ってましたが、ゆるいコースを辿ったおかげで初めの10分こそ汗ばみましたが竹林までは思ったより楽に到着しました。竹林に入る地点は、所々に畑が有り、お茶やラッキョが植えられて居て、地元の人には当たり前の生活道路だったようです。

途中には昔の炭焼き窯の後も有り、昔のとはいっても30年位前でしょうが、日本人の生活の様子を伺い知る事が出来ました。山に入ると時々M本さんが立ち止まって、木や草の説明をして下さいます。食べられる野草の話しや、木の名前の由来を興味深く話して下さるので、家族全員聞き入って居ました。その様子は農業高校の先生のようにも見え、子供の頃参加していた(自然科学教室)を思い出しました。教室で学ぶのと合わせて、野外でいろいろ学ぶのはとても見につくものだと改めて確信しました。

ここの竹林は荒れていました。この状態は以前住んでいた静岡県富士宮市でも同じでした。

静岡県富士宮市は竹の子の産地で周辺の野山や富士川沿いに竹林が多いのですが、立地条件の悪い竹林は人の手が入らず壊れていました。そう言えば岐阜県の長良川沿いに延々続く(特に岐阜市あたり)竹林もみっしり竹が繁茂し、枯れた竹などが絡んで風も入らず壊れていました。人が入らないと竹がどんどん生え、樹間(竹間)が狭まり、為に樹(竹)が成長を阻害され太く育ちません。育成林で下刈り、間伐が絶対必要で有ると同じに、竹林でも間伐=間引きは必要なのですが、竹の子を取るでもなく、竹製品を作るでもなく、ほったらかしなので竹林の竹の本数こそ多いですが、太くてたくましい竹の数は少なくなっています。

竹林に隣接して檜林が有りました。竹林も檜林もM本さんの親戚の方の所有との事。決して盗伐ではありません。(悪しからず)そして檜林も同じ運命でした。こちらは隣の竹林から侵食を受けている様で、こちらの竹の方が元気があります。

しかし・・・・檜はもったいない状態でした。竹林の荒廃も問題ですが、植林地の荒廃はもっと大きな問題を抱えています。これは林業の問題では無く、日本の社会構造や世界を含めた経済構造の問題です。私は学生時代林業学科で学び、専攻は木材加工でした。(因みに木材加工は紙パルプにつながります。)高校時代は農業高校に通っていました。まじめな学生では有りませんでしたが、農業や林業については社会人になってからも興味を持って眺めていました。その為好きなオートバイで日本中を走りながら畑を見たり、山を見たりするのが好きで、農村や山村の元気度合いも見て来ました。

サラリーマン時代も、お客さんとの話しの延長でいろいろ農業などの事を教えていただく事が多く、どれも勉強になっていました。それらの場面でいつも思うことはただ一つ。農業や林業だけでちゃんと暮らしていけないものか・・・・。

手ごろな竹を数本切り出し、暫く休憩。M本さんから檜林の事や、むかし山で働いていた人達の話しを聞かせて貰いました。

木挽き、杣(ソマ)と言った今では見かけない仕事の話、移動製材所が出来て仕事が無くなっていった話。それらはM本さんのお父さん達の時代で昭和20年頃からの話しでした。

竹は数本、それを全員で1本づつ担ぎ山を下ります。家に着くとさっそく長男はシカケ作りに取り掛かりました。一体どんなシカケが出来るのか?・・・・。

「一日山で働いて、不安無く家族を養っていけるような時代が来ればいいなぁ」

注)この記事は2007年1月6日(旧)兎屋ブログからの転載です。