硫黄島からの手紙 2006

兎屋2006の仕事が終了し、他の家族(家内、長男、次男)は実家に帰省中。世間の皆さんは忙しい年末ですが、何もする事が無い私は、高知市へ映画を見に行く事にしました。

幡多郡黒潮町から高知市までは2時間程掛かります。昨夜の寒波で国道56号線沿いの里山は霜で真っ白く趣が有り、遠くの山には雪雲が雪を降らせつつ有ります。例年に比べ暖かな南国高知県も寒波が入ると雪の気配がしています。それでも市内に入れば全県南向きの高知県の海岸沿いは、明るく暖かな日差しがいっぱいです。海岸地区の晴天と遠く北側に広がる四国山地上空の薄黒い雪雲の対比が、いかにも南国の冬を表現しているようです。観るのは「硫黄島からの手紙 」です。

クリント・イーストウッド監督による硫黄島2部作の一つで有る本作品は、アメリカでも注目作品の一つに数え上げられ。日本側から描かれているという事で、日本でも話題映画となっています。日本での人気の一つは、日本人監督が描いていないという事と、クリント・イーストウッド氏が、日本では大変人気の有る俳優さんだという事で注目度がUPしていると考えられます。

一方日本では風潮でしょうか、太平洋戦争を題材とした映画が、ここ数年よく封切られています。大和や特攻を題材にしていて反戦をベースにしているとの事ですが、歴史知識の貧弱な日本人が観ると誤った印象を受けそうな場面も多いように思います。或いは意識的に誘導しているのかも知れませんが。自国の歴史物を撮ると、どうしても自虐的になったり(特に日本の場合)、或いは美化してみたり(各国共通の現象ですね)してしまうので、日本人監督が太平洋戦争を題材にして映画を撮るのが難しいと言った現実がある事も確かです。それらを考えながら、どこまでクリント・イーストウッド氏が硫黄島の戦いを描いているのかが興味の的で有りました。

鑑賞後の感想としてはいろいろ頭に浮かんで来ました。観れば当然に批判も有りますが特に大きい批判は感じませんでした。アメリカ人監督が作った映画としては、友好的にしっかり作っていたように感じます。ただこの映画を見ただけで硫黄島の戦いを了とする事は絶対に避けて欲しいと思いました。(イオウトウ:私が子供の頃はこのような発音だったと思っていましたが、最近ではイオウジマと発音するのが一般的だそうです)これはクリント・イーストウッド氏のせいでも、映画「硫黄島からの手紙」のせいでも有りません。コレを見た個人の問題です。

大和も特攻も広島も沖縄も、目を大陸に向ければ、朝鮮半島も、中国大陸も、東南アジアからオセアニアの国々、アメリカ、イギリス、ドイツ、イタリア、ソビエトなどなどそれらが絡まって、その流れに浮かんでる日本があるという事を知ってもらいたいと思いました。でないといくらこのような映画を見ても、俳優さんはいざ知らず、死んでいった、或いは心や体にキズを持ってしまった日本人や外国の人たちに申し訳ないと思いますし、私達の次の世代の子供達にとっても、無責任であると思います。

今回「硫黄島からの手紙」を観て、自分なりにどういう評価をしようかと考えていましたが、映画の評価より、映画を見る方の有り方について考えるきっかけを貰った映画のように思えました。子供達にもっといろいろ、くわしく話していかなければ成りませんね。因みに私が子供の頃(小6だったっけかな)友達連中と見た「激動の昭和史 沖縄決戦」という映画は、見ていて耐えられなくなり席を立って隠れていました。勇ましい戦争物だと思って見ていましたが、地下壕にある野戦病院の画面でショックを受けていました。また次から次に自決して行く兵隊や一般人(子供達も)の描写がひたすら続く映画で、今までの戦争映画とは全く違っていました。しかしその映画を見た後から、読書の傾向が確実に変わっていました。理由は「 何故 」 それは今でも続いています。

【最後の一言】硫黄島の戦いで、一番日本兵を苦しめたのは戦闘ではなく、戦う為の地下陣地構築でした。戦いの記録もさる事ながら、地下陣地構築の手記(戦いではないので公式記録では現れてきません)等を読むと、まさに地獄の様相が書かれています。そしていよいよ米軍が上陸を開始し洞窟掘削が中止になった時の兵隊の一言「あぁ これで楽になった」

注)この記事は2006年12月30日(旧)兎屋ブログからの転載です。