村の総会 2006

町内会や集落の会、マンションの管理組合・・・・など。日本のほとんどの地域では、内容の濃い~薄いは有るにせよ、何らかの自治組織が有ります。ゴミの出し方や場所の掃除から始まり、こまごまとした取り決めが、区長、班長、組合長の下で決められており、年に1回乃至は数回、各戸の代表が集まり、さまざまな事を協議しています。

高知に越して来た日の庭からの景色。これぞ日本の夏という風景に感激!

ここ高知県幡多郡黒潮町の兎屋一家の住んでいる部落でも、今日一番大事な行事である、部落総会が開催されました。昨日の葬式に続き、部落の方々と顔をあわせる機会でもあります。
実はこの、町内会とかいうモノ、私にとっては一番苦手な事であります。サラリーマン時代、会社で行われていた会議が嫌いで、出来るだけ会議はしないようにしていましたし、打ち合わせ等は部屋の隅で立ってやればよいと思っていましたしその方が合理的な場合が多いとも感じていました。また、町内会という組織が、昔の隣組を思い起こさせ、戦時統制の手段と、それに連なる諸々の理不尽や不幸を知っていましたので、高圧的な話しが町内会や管理組合の名の下にやって来たりするヤッパリ日本は変わらないや・・・・と思って居たりしました。

しかし現実の社会生活ではそういった組織に入らねば近所の方達ともうまく行かず、変人扱いをされるのがオチ。家内や子供達の事を考えると、それに身を任せていく事になります。特に、兎屋一家の様に方々で生活し、常に他から入ってきたモノとしては気を付けなければならない事です。以前住んでいた静岡県でも、引っ越して来た当日に区長さんが来られ、町内会に入るかどうかの質問を受けましたし、当然了解して、町内会に入れて頂いていました。

高知に越して来て、5ヶ月に成ろうとしています。周りは冬になりました。

私は実は偏屈で協調性が少ないのですが、家内は逆で一生懸命に行事などに参加するので、近所や町内の方達から受け入れられていました。家内がそういう性格でよかったと思っています。夫婦で協調性が無かったら、やばいでしょうからね。そういう家なので年に1回の水路掃除の時は、本来なら一家族から1名出れば良いものを、兎屋一家は、家族全員で参加し、水路掃除を楽しみながら行っていました。家内は自然に、子供達は生き物採りに、そして私は協調性の無さを隠すためにより一生懸命に・・・・。

本日の総会は、村の集会場で開催です。どうしても用事で出席のかなわない方はいらっしゃいましたが、ほとんどの方の出席で開催しました。内容は思っていたより白熱していて、シラケた総会だろうとタカを食って臨んだ私の予想は見事に外れました。質問される方も、答える役員の方も真剣です。聞いていて私のわからない事も多く、皆さんのお話しを聞きながら、頭の中はフル回転で理解しようと努めていました。数時間ほどの総会を終え、部屋を出た時はホッとするぐらいでした。

いろいろの問題が討議されました。私だったらこう考えるかな?と思う事も有りましたし。わからず終いな事もありました。でも、その場で自分の意見を述べる事も、わからない事を質問する事も出来ませんでした。真剣な討議の場に自分をさらす自信が無かったのと、むつかしい事に巻き込まれたくないと思ったからです。

しかし、真剣に討議されている方や事柄を肌で感じていると一つの考えが生まれました。それは、村の総会は、それぞれの人達の人生がぶつかっている所だと思った事です。会社なら会議の方向は会社の利益に向かうし、市町村などの議会なら、地元の利益という物差しで会議が展開するでしょうが、部落会や町内会と言ったボランティア性の高い集まりだと、みなさん損得で話をしないので、それぞれの人の考え方の基本は、長年培って来たその人、それぞれの人生が基盤となっているようです。だからこそ白熱した討論が起こるのだと思いました。

もちろん会議中の人は、人生を掛けて討論している気は無いでしょう。しかし夫々の規範はその人の人生そのものである事は明白です。討論中の人はその事には気が付かないで居ても自然意見のぶつかり合いと言うより、人生のぶつかり合いにならざるを得ないと思っています。帰り道考えながら歩いていました。じゃあオレはどうしたらいいの?そしてなかなか気合の入った土地に移住したのだなぁ・・・・。とね。

注)この記事は2006年12月17日(旧)兎屋ブログからの転載です。