8日金曜日午後9時、自宅に到着。縁側のガラスを指で叩いて家に入ると家内が大笑いしていました。理由は:1週間私が居なかったので、大いに羽を伸ばしていた子供達が、私が帰った事を知り「あ~~~あ 終わったかぁ~」だって・・・・・・

今回の出張もそうでした。折角上京するのだからと言う事であれこれスケジュールを入れます。あそこにも行きたい、あの人にも会いたい・・・・。と思っていると手帳は一杯になり。時間が空くと、更に電話をかけまくって少しでも時間が取れませんか?と聞いてみたり。その上必ず土日をはさんで(息抜抜きと称して)友人宅に泊まりフィーバー(古い言い方だなぁ)するので。仕事+遊び+慣れない枕で ヘトヘトになるのが常です。
仕事と言うのは当然、兎屋の商品を売る為の仕事です。しかしただ売るだけではつまらなくなり、きっと飽きて来るだろうと自分を分析してるので、仕事の目的を 売る+広める にしています。売るだけなら行かねばならない所は限られて来ますし、あまり面白みがありませんが、広めるとなるとその対象がかなり増えます。また、今までとは違った人たちとの交流も始まるので、刺激になり当分飽くことは無いでしょう。という事で、今回も東京、神奈川に静岡県富士地区まで回って、途中車内泊を行き帰りそれぞれ1泊づつやって来ました。

今回の出張では都内で飲む機会が多そうだったので、新宿歌舞伎町のほぼ中心にあるビジネスホテルに連泊しました。とは言うものの1泊目夜の飲み会が流れたのと、疲れが取れなかったので、エネルギー充電をしようと一人で新大久保のオモニ食堂でキムチ鍋定食を食べ、夜のコリアンタウンを歩いて来ました。
ハングルマニアの私は、サークルの仲間や友人達と時々来ていましたが、一人出歩く夜の新大久保は刺激的でした。若い人達が大きな声で話すハングルには力がこもっていて、日本の若い人達の元気の無さと比べて際立っていました。もっともそれを眺めながら歩いているおっちゃん(私)もコリアンタウンの風景に溶け込んでいたと思います。

東京~神奈川で仕事を済ませた後は、車を運転して富士宮市へ向かいます。中央高速河口湖線から大月街道で朝霧高原を経て入るルートは、静岡在住時代に散々走った道です。数年ぶりに見た景色は相変わらずで、いつものように富士山が迫っていました。山梨県と富士宮市の県境から見る富士山は私のお気に入りで、今回も車を停めて写真を撮ってきました。
この場所で富士山を見る時、いつも頭をよぎるのは戦車兵の事です。太平洋戦争時代ここ富士山のふもと朝霧高原には陸軍少年戦車兵学校が有り、全国から志願で入って来た10代の少年達が訓練をし、召集された彼らのほとんどは、南方の戦地で、あるいは輸送船もろとも命を散らせたそうです。世界遺産に登録申請しても却下される富士山ですが、世界遺産より大切なものがあるように思えてならない富士山の風景がここにある様に思えます。
注)この記事は2006年12月1日(旧)兎屋ブログからの転載です。