今回遊びに来た友人N君の希望により、愛媛県の愛南町「南レク公園」内に展示している、旧海軍の局地戦闘機:紫電改を見に行きました。彼の美大時代の教授が太平洋戦争期、紫電改の設計に携わって居たという事で、海に行く前に寄って見る事にしました。この紫電改は当時、松山飛行場に駐屯していた343海軍航空隊所属で、昭和20年春、九州の大村基地からの移動中に消息不明の6機の内の1機だそうです。実はこの紫電改の事、私が小学生当時に住んでいた宇和島市で新聞を読んで知っていました。


豊後水道上空で米軍機と空中戦になり、それを見ていた沢山の人達が墜落した大体の場所を知っていて、地元のダイバーが水面下40mにほぼ原型を保っていた紫電改を発見したとの事でした。昭和45年の頃の話だったと記憶しています。
実際に引き揚げられてのは昭和58年になってからの事で、平和を祈念すると言う事で、愛媛県が音頭を取っていろいろ苦心の末、展示場も作り今に至ったようです。いつかは見に来ようと思っていましたがなかなか機会に恵まれず、今回、ひょんな事から紫電改の見学が出来ました。

今年もまた8/15日がやってきます。原爆の事や中国大陸の事、占領下の苦しみ等は皆さん良くご存知ですが、20歳そこそこの若者が戦争に巻き込まれ、無くなって行った事も身近に有るのだという事を、彼の次男と私の長男、次男に感じてもらえればなぁと思って展示物に見入って居ました。
今も戦争を行っている国々が有り、ニュース等で見聞きする度に、自分達の子供らが戦争に関わらなくても良い時代が続きますようにと祈らざるを得ませんでした。
帰りにN君が「なんかさびしいねぇ」とつぶやいていました。美大を出て工業デザイナーとして働く彼にとっては、この紫電改もデザインから生み出される機械なのでしょう。そしてそれに乗って戦い、散って行った若い人達を思っていたのでしょう。
注)この記事は2006年8月5日(旧)兎屋ブログからの転載です。