来週の高知は楽々フェリーで
前回と同じく東京→徳島。但し今回は帰りもフェリーです。で、メインの荷物は私の一番の宝物!そうです例の1957式で、本日車に搭載しました。これで暫く1957式とはお別れ、7月の引越し完了の暁には、バリバリ高知を沸かしますぜ と言うことで、今日は、神奈川お別れRANにしました。とは言うものの土曜日なんてこのあたり(湘南地区)は渋滞、渋滞、大渋滞・・・気分も浮かず、最後のRANはどこに行こうかな?
!そうだ!いつもお世話になっている横浜市金沢区六浦のランブルエンジニアリングへ行くことにしました。海岸通りから若宮大路に入り、ガードを潜ってすぐ右折、旧街道を逗子、池子を経て1時間弱、ちょっと走り足りないですが、まぁいいか。店では相変わらず渋い作業をやっています。

この店は古いハーレー乗りの駆け込み寺、古いハーレーを乗り続けるという事は、お金も時間も手間も生活もすべて捧げなければなりませんし、それでもまだ足らない事や手に負えない事が次々起こります。それは突然と言うものではなく、日常と言ったほうが近い頻度で起こるのです。ツーリングに行っても気が休まる事は有りません。時に調子良かったり、景色が良かったり、逆に大雨や寒さで忘れることがあっても、それで故障の恐怖から開放されるものでは絶対にありません。
でも乗る。好きだから乗る。他のオートバイには興味が持てない体になっています。私のハーレーの師匠は「オートバイ好きと言ってもかなり変態の方だら?(静岡弁)」とよく言ってました。

考えて見れば静岡県富士宮市から越して来て、兎屋を初め今日まで4年半、1957式で近場を走るのと、年1回のミーティング以外はほとんどツーリングをして来ませんでした。と言うか、資金0から兎屋を初める為に越してきた神奈川県にはあまり興味がなく、ただ紙バンドを売るためだけの生活、友達も作らず気が付いたら4年半。こうやって海岸通りを何回走っただろう?きっとしかめっ面をして走ってたのかな?でも今日で最後の1957式のRANはやっぱりいつもとは違っていました。またこっちに来ることも有るかな?
注)この記事は2006年6月17日(旧)兎屋ブログからの転載です。