ハングルのきっかけ 2006

毎週木曜日19:00~21:00新宿のとある場所で雑踏にまぎれるようにそれは開催されています。ハングルマニアの私は2001年(21世紀最初の年)の1月10日の夜、風呂に浸かりながら考えていました。(21世紀になった記念に一つ新しい事をはじめよう・・・・・)(茶道?・・・・すごく興味が有りますが、私の性格からするとお金がかかりそうです)(却下)(・・・・・そうだ!外国語に挑戦して見よう、で・・・・英語はとっくに撃沈してるし、中国語も難しそう・・・・)(ううん?ハングル?そういえば文法が日本語に似てるし、ローマ字風に覚えられると・・・)(はい 決定。)で 風呂から出て家族に宣言しました。

「明日からハングル勉強をする!どこまで出来るかわからんけどやってみる!」翌日の東京出張(当時は静岡県在住)のついでに八重洲のブックセンターでNHKのハングル教本を購入その日の夜からまず、カナダラ(日本語のあいうえお見たいな物)を唱え始めました。


仕事中の車中でも、通勤中でも、ブツブツブツブツ、あわせて購入したNHK教本{スタンダード40:簡単な場面会話が40パターン掲載}を丸覚えに入りました。とにかく書く、読む、書く、読む。この方法は外国語を習得する方法としてまずい方法ですが、静岡の地方都市でお金も掛けずに勉強するには、まずい方法だろうがなんだろうが丸覚えの挙に出ました。※どこまで続ける事が出来るかな?※40歳過ぎて記憶力が落ちてるけど大丈夫かな?注:当時は静岡県富士宮市に住んでいました。

続ける事についてはひょんなことから意地が出始め、今日までハングル勉強をやって来れました。その意地とは、ハングル勉強を開始して2ヶ月も経ないうちに、兎屋一家に大きな転機が来た事です。「退職」9年間勤めた製紙会社を辞めてしまったのです。しかもあてもなく・・・・。結局辞めた私の我慢が人より劣っていたのでしょう。でも、このゴタゴタにまぎれてせっかくスタートしたハングル勉強を中断する事が悔しくて、一層勉強に励んでいきました。勉強は恵まれた環境でするよりハングリーな環境でする方が身になるとその時実感しましたよ。

それから神奈川に引越して兎屋を開店、ちょっと落ち着いた頃ネットで調べてそのハングルサークルを見つけました。

メールで入会の意志を伝え、2003年の2月、渋谷で新年会があるというのでそれに参加させてもらい、その後年末までほぼ皆勤賞でサークルに参加しました。そのサークルは19:00~21:00、日本人と韓国人がカフェで雑談すると言った形態なのですが、これが実に勉強になるし、また励みになります。このサークルに参加する日本人は30~40歳代の女性と男性がちょっと(私は珍しい人種です)一方韓国人は20歳代の留学生がメインで男女比率もほぼ半々、みなさんまじめに雑談しており、あっという間の2時間です。

私は家が遠いので21:00終了とともに帰宅ですが、ほとんどの方は新大久保あたりの韓国居酒屋で2次会に行きます。私も行きたいのは山々ですが、行くと帰れなくなるので残念ながら一度も2次会に出たことは有りません。(これはとても痛いです)

2003年はほぼ皆勤賞でしたが、2004年は1月1日に腰を痛めてしまい暫くサークルを休んでいました。その後仕事が忙しくなりそのまま参加がかなわず忘年会だけの出席となったのでした。そして昨日実に1年半振りのサークルは以前と変わらないアットホームな雰囲気で楽しんであっと言うまに21:00に終了。いつもの21:23新宿発の小田急で帰途に着きました。

韓国の留学生たちはほぼ1年で帰って行き、4月にはまた新しい留学生が来日しています。ボランティアで活動を続ける裏には常連参加者による支えが有ります。本来なら私も一緒に活動に協力しなければならないのですが、参加できない自分を情けなく思うとともに、支えてくださってる方々にとても感謝しています。これからも時間を作って参加したいと思った帰り道でした。


※このハングルサークルはすでに解散していますが、新大久保には他にも交流サークルはあります。 

注)この記事は2006年5月19日(旧)兎屋ブログからの転載です。