黒潮町というところ 2006

2005年の暮、兎屋がお世話になっている四国中央市の紙バンド加工会社さんへ兎屋一家でご挨拶に行き、家内と子供達に紙バンドの工場を見せて頂いた後、実家の砥部町で一泊の後、家族の希望で高知県の宿毛~四万十市を見物し、四万十川河口にあるキャンプ場(とまろっと)のロッジで泊まりました。

宿毛市は思ったより静かでさびれていて、私の生まれ故郷の愛媛県宇和島市を思い起こさせましたし、四万十市は冬だった事もありポスターで見たような青い空と清流の町イメージとはかけ離れていました。しかもロッジは四万十川河口のキャンプ場に有ります。一般に河口という場所は荒涼とした風景ですが、夕方のその時もこのまま家に帰って寝たくなるような気分になったものでした。しかしロッジからの太平洋や、はるか向こうに霞む半島は広大な海を象徴し、沈んでいた気持ちがまた高ぶってくるようでした。

翌日は海岸を沿う県道42で道草を重ねつつ北上し、2~3の集落を過ぎて着いた所が黒潮町(旧:大方町)でした。その町は太平洋に面して広がっており、海岸には砂防松林が横たわっています。その松林を中心に海岸のほとんどは県立公園になっていて、広々とした園内には各種スポーツ施設やキャンプ場が備わっています。広い公園の南側には太平洋が広がっており、太平洋と公園の間は砂浜となっています。砂浜の全長は4km以上あるそうです。

高知県幡多郡は歴史が古く、その中心は四万十市(旧:中村市)や宿毛市です。宿毛市は九州へ向うフェリー乗り場が有ったり、愛媛県との交通の中継点であったり、主力の漁業では水揚げされる魚の種類が日本一であったり、かつお一本釣り漁業で有名な土佐清水市への入り口であったりで、場所的に重要な所で発達した町です。

また中村市は歴史的に面白い成り立ちをしてきた町で、土佐の鄙びた田舎でありながら独特の風土を育んで来た、ある意味一般的な(高知県に土佐的なものを期待するような)土佐風とは違った面を持っている町でも有ります。最近では例の四万十川が有名になり、全国から四万十詣でをする人が押し寄せているようです。その為、黒潮町はすばらしい環境に恵まれながらあまり知られることも無く、一部関西圏のサーファー連憧れの地として連休時こそ多少の混雑はするものの、お隣の四万十川がだんだん俗化していくに比べ、今でも大きな砂浜を贅沢に味わえる町として存在しています。

この黒潮町は佐賀町と合併し黒潮町という名前になりました。黒潮というフィリピン付近から発して土佐湾に流れ込む暖流の名前を一人名乗るの僭越は、他に同様の事例が日本中にあふれているのでこの際目をつぶるとして、やはりこの4kmの海岸線は何とかしたいと思うのが人情でしょう。毎年5月の3日から5日、砂浜を美術館に見立てた「Tシャツアート展」というのが開催されています。兎屋一家も漁港から遠くに広がるTシャツの波を眺めていました。

またこのあたりはホエールウォッチングのポイントとしても有名で、漁港からは何艘もの船が観光客を乗せて沖に繰り出して行きます。この風景も漁港から眺めていました。要するに兎屋一家は午後の長い時間どこ行くとも無く、堤防でぼんやりしていただけです。・・・子供達はご覧の通りですが。

注)この記事は2006年5月16日(旧)兎屋ブログからの転載です。