
追加:「~せられん」は(高知県)幡多郡の隣、(愛媛県)伊予国宇和郡でも使われていて、わたしも子供時分に母親から「あぶないけんせられんで」(意:あぶないから してはいけないよ)とよく言われていました。
また海岸に行けば、堤防にペンキで「ここでおよがれん」と汚い字で書いてあるのを見ながら泳いだものです。この写真のごとく漁港や海岸堤防などに「つられん:釣ってはいけない」「およがれん:泳いではいけない」「はいられん:入ってはいけない」は普通に見る風景で、それらは決まってペンキで乱暴に書かれていました。私的には写真を撮るほどでもなかったのですが、家内や子供達には興味深かったようで、ならばとカメラに収めたのでした。
ついでながら、皆さんが期待する「土佐言葉」はこういったものでしょうか?時代劇に登場する「土佐弁」は勇ましくかっこいいですね。たとえば映画「鬼龍院花子の生涯」では仲代達也氏が土佐弁をまくし立て熱演でしたし、ヒロイン役の夏目雅子さんのセリフ「なめたらあかんぜよ!」もみなさんは覚えていらっしゃるのではないでしょうか?しかしこれらはいわゆる「土佐弁」で、今回私が見聞きした「幡多弁」とは微妙に(かなり)違っています。

土佐の中央は、戦国期長宗我部氏の発祥の地であり、土佐西部の幡多郡は、応仁の乱を避け領地に下向した一条氏(公家)の治めていた地で京都文化を移植したようなところと、一方では独自で明と貿易をするといった気分のある地域であったようです。
戦国大名の長宗我部氏は四国統一を果たすなど英雄的であり、今でも土佐人に人気が高いのですが、一方の公家大名?としての一条氏は文化的に幡多郡を治め人気も高かったようです。民としては戦(領土拡張)に興味を持たない領主のほうが良かったのでしょうね。 当時一般的であった武で領土野望を果たす意識が薄い代わりに、一条氏の場合は幡多の中村の地を根拠地として明国と貿易を行い莫大な利を上げていたという事実から、公家とは言いながら、政治的で商人感覚の高いしたたかな一族であったようです。幡多弁が土佐弁に比べやわらかい響きを持っている事からも、それが伺えるような気がします。
注)この記事は2006年5月11日(旧)兎屋ブログからの転載です。