サンライズ瀬戸 2006

父が国鉄の機関士だったので職員割引が利き、学生時代は四国松山と東京の間を、寝台特急「瀬戸」で何回も往復していました。スカイメイトを使い飛行機で帰省する友人がほとんどでしたが、私はいつも寝台特急「瀬戸」。元々鉄道も好きだったので、この「瀬戸」の旅はお気に入りでした。当時はブルートレインと呼ばれ電気機関車で寝台客車を牽引し、特急とは名ばかりのゆっくりスピードで東京駅と岡山県宇野駅間を走ってました。

宇野と言うのは岡山市から南に下ったところに在る町で、四国の人は必ず通過した町です。まだ瀬戸内海大橋が架かってなかった時代は、宇野と四国の高松を国鉄の宇高連絡船が結び、当時高松市は四国の玄関口の役割を果たしていました。

宇高連絡船にはうどん屋が営業しており、これから四国を離れる人や久しぶりに四国に帰省する人達を慰めていました。ちょっと年配の四国出身者に宇高連絡船のうどんの話をするとほとんどの方は懐かしそうに思い出すでしょう。今回また四国に行って来ました。2週間前にも車で四国に行きヘトヘトなので、今回は久しぶりに寝台車の旅をする事にしました。

出発は日曜日の夜です。普段から東京駅には良く行くのですが、日曜日の夜の東京駅はまず行かないですね。一体どんな顔を見せてくれるかな?とちょっと楽しみにして駅に向かいます。日曜夜の東京駅は、平日の駅とはやはり趣が違っていました。地方から帰ってきたらしき人や、これから地方に向かう人、よく見るとあちこちにドラマの主人公になった気のカップルが柱の影でマッタリしています。それを横目で見るたびに(まあ残念だけど長距離恋愛の1年続く確立は消費税以下だなぁ)と思いながら通り過ぎて行きます。

私の乗る寝台車は昔の「瀬戸」ではなく今は「サンライズ瀬戸」という寝台電車に進化しています。塗装もブルートレインの夜のイメージから、朝もやのイメージに一新しており、しかも!ほとんどが個室仕立てとなっています。「サンライズ瀬戸」の発車するホームにはあまり人影はありません。この人影の少ないホームと向かい合ってまだざわめきの残る山手線や京浜東北線のホームには21:00を過ぎてもひっきりなしに電車が入って来ます。これらの近郊電車と今から夜に向かって走り出す寝台車には大きな隔たりがあります。いつも見慣れた風景が、寝台車に乗り込んだ瞬間から違って見えるのです。この感覚は飛行機でも、新幹線でも、長距離バスでも味わえません。寝台車に乗った人だけが知る「非日常感」です。

観光旅行で乗る寝台車(北斗星など)と、進学、就職で田舎を離れて行く時に乗る寝台車もまた違っています。不安90%、希望10%・・・・?いや私の場合は不安100%だったでしょうか?眠れない中をゴトゴト言いながら、ところどころのさびしげな踏み切り音、眠れなくてカーテンの隙間からのぞくと、遠くに小さな明かりが見えたり。夜中、大きな町の駅に停車し、遠くで出発の笛の音が聞こえると、ゴトリと音をさせて機関車が走り出すのですが、そのとき前の方の客車の連結器のキシミ音がだんだんとこちらに近づいて、また後ろの車両の方に遠ざかって行きます。なんて寝台車ってさびしいんでしょう。その寝台車の中には消毒液の匂いと、昔は何処からとも無く漂ってくるタバコの煙。寝つきの悪い私がやっと寝れるのは大体午前2:00過ぎでした。そして今回もやはり寝たのは静岡駅を通過してからで、午前1:30でしたよ。

今、寝台特急(因みに寝台急行は東京~大阪間の「銀河」だけ)はどんどん廃止されています。昨今は旅に何かを感じる事が出来にくくなってるのでしょう。私も新幹線は利用しますが何も感じないですね。それに比べて寝台車はいろいろの感情をたっぷり満載して走っています。観光旅行ではなく、また大人数でもなく、試しに一人でさびしく寝台車に乗って旅行される事をお勧めします。昔の友人に会いに行くのは良い動機になるのではないでしょうか?出来ればB寝台でわびしく・・・・・。

今回寝たのは午前1:30でしたが、気持ち的には30分に1回の割合で意識が戻っていました。夢を見ては意識が戻り、また夢に入るみたいな・・・・。で、目覚めた時刻は午前4:30頃。列車は快調に走っています。カーテンを少しあげて外を見ると夜が明け始めています。快晴です。夕べのブルーな感覚は朝の光に消えて行きます。そういえばこの感覚も思い出しました。上京時に思った100%不安感が、朝、東京に近づくにつれて少なくなっていき、寝台車を一歩出た時、現実に引き戻され不安も残ってはいるのですが、今日会うであろう新しい人たち(この時は寮に入りいろんな地方から来た仲間との共同生活が始まった日でも有りました)の事をぼんやり考えていましたね。寮のある小田急線の六会駅からとぼとぼ歩いている!いやそのときは雨が急に降って傘が無いので走って寮に向かったことを思い出しました。今から28年前でした。

注)この記事は2006年4月26日(旧)兎屋ブログからの転載です。