昨日は寂しいニュースが一つ。

この鉄道には思い入れが有ります。そして私の北海道ツーリングの原風景でもありました。20代後半の頃から夏の北海道へ毎年上陸し、主に林道をつないで道北方面に行っていた頃です。

当時は東京~釧路のフェリー便(今は廃止航路)で北海道へ向うのを常とし、釧路港に上陸すると濃霧の海岸地方から逃れる為、さっさと内陸部に向けて猛スピードで入って行きます。その時も鶴居村の道道をつなぎ北上、弟子屈を経て屈斜路湖畔に出ました。
その頃には天気は回復し、夏の北海道がイメージ通りに広がってきます。しかし北海道に観光に来てるのではなく、走りに来てるので湖はチラッと横目で屈斜路湖西岸に対し直角に真っ直ぐ山に入るダート道を入って行きました。

津別峠に向う林道で一気に越えると、ながらかな丘陵地区に出ます。20kmほど走ると網走郡津別町、国道240で少し南下し本岐の分岐からチミケップ湖に向います。初めて走った時はそこに湖なんてある事は知らず、林のなかから突然現れた湖にちょと感動しました。屈斜路湖には観光客が群がっていますが、この湖は知る人ぞ知る穴場だと後で知りました。
しかしチミケップも一瞥だけで、次の訓津峠を越えて着いた町が常呂郡訓子府町、ここまではなんとなく走行計画らしきものが頭にあったのですが、さて今日の野宿はどうしようかなと、ふらっと駅に向います。私は旅の途中で駅に寄るのが好きで、特に無人駅は泊まれる事が有るので宿に迷った時は寄る事にしています。
その駅は「日の出駅」と書いて有りました。古びた国鉄時代の駅舎が昭和の雰囲気でたたずんでいて、まだ日が高かったのですが、スグに今日はこの駅舎で寝ようと決めました。駅前広場にテントを張ろうと思ったのですが、どうしても待合室で一夜を明かしたくて、列車が来ないことを良い事に駅構内をあちこと探索し、そこで初めてこの鉄道がJRではなく「ふるさと銀河線」という第3セクター路線だと知りました。駅前にはAコープがあり、沢山のメロンを注文し東京の仲間に送る手配をしながらガヤガヤやってるうちに店の人とも仲良くなり中のお一人の方とは今でも年賀状の交換をさせて頂いています。

夕食はAコープの前で飯ごうを焚き、カレーを作り駅舎の入り口で食べました。夜は駅舎の前にシートを引き星空を眺めながらロシア語のラジオをぼんやり聴いていました。列車は時々やって来て、そのたびに一人二人のお客さんが駅舎から出て来ます。皆さんビックリした顔で私を見て行きます。土埃で汚れた汚い男がなぜ駅前で寝転んでいるのかな?
世も更け、最終列車が行った後で待合室に入り、長いすを動かしてベットを作り就寝です。待合室の電灯は最終列車が行った後、自然に消えました。

朝はなかなか起きられなくて、早朝からの列車が何度か駅に停車したのを覚えています。7:00頃起床し、長いすを元に戻し、昨日の残りのカレーを温め、冷や飯にかけ、インスタントコーヒーを飲んで、「さあ今日も走るど~~」・・・・・
充分駅舎を堪能させてもらった「日の出駅」にはその後何回と行き、何回も泊まりました。大人数の時は駅前の広場にテントを張ったりしてね・・・・。新婚旅行の時も家内と駅前にテントを張って過ごしました。子供が生まれ、車で来た事もあります。そして幾度か行くうちに、駅舎が新築された時はガッカリもしました。
この数年ほど北見方面は行っていませんが、「ふるさと銀河線」が廃止となる噂を聞いていて残念に思っていました。お金がないのになぜか駅舎は新築です。おかしいでしょ?足寄駅なんて立派で大変な事になっていますよ。最後の列車は満員だったようです。今日からは沿線をバスが走ってるようです。あの駅舎どうなるんだろ。バスの待合室かな?
注)この記事は2006年4月21日(旧)兎屋ブログからの転載です。