ツーリングに行こう④一生もの有ったろ 2006

上野を出て、神田須田町から靖国通りに入り、日本武道館の前を通りながら「この間柔道の試合を見に来た所だよ」と言いながら左折し、皇居を左に見ながら走ります。道も広く、空いてるので気持ちが良いです。途中 20国(四谷、新宿方面)×・・・・・ 246国(青山、原宿、渋谷)却下・・・・昼飯を食べる所が浮かばず、そのかわり「! そうだ国会議事堂を見よう」と言うことになり、そのまま議事堂前にオートバイを停めました。

国会議事堂なんて仕事等で東京に来る機会の多い私でもじっくり眺めた事は有りません。高校の修学旅行の時に(愛媛県の農業高校)上京した時も、国会議事堂はバスガイドさんが「・・・・・あそこに見えるのが国会議事堂です」で説明が終りました。

そういえばバスの中から英国バイクのトライアンフを見て興奮した事を覚えています。男子ばかりのクラスだったので、興味の第一はオートバイという子が多かったです。

あと音楽(吉田拓郎や井上陽水などのフォーク派とキャロル、矢沢、クールスのロックンロール派)かな。今の高校生はどんな事に興味があるのだろう?音楽、ファッション、携帯、パソコン? バイクに乗る子が少なくなったようです。

国会議事堂前でたっぷり撮影と見物したあと、振り返ると日比谷方面への坂道が見えます。なんと広々してるのでしょう。むかしこの坂から学生がデモ行進しながら国会議事堂に突入を図ったり、右翼青年が車でこの坂から国会議事堂に向けて突っ込んできた事が思い出されます。

この坂の向こうに日比谷公園があります。

そうだ!日比谷公園内のレストラン(松本楼)でカレーを食べよう。公園テラスで食事すると気持ち良いです。でさっそく日比谷公園に向かい、オートバイを路駐し(すごく心配)松本楼まで歩いて行きます。すると待ってる人がいっぱい!日曜の有名なレストランで正午過ぎにそのまま席に座れると思った私が甘かった!当然待つのは嫌なので反転して路駐のオートバイの所に帰ろうとすると・・・

長男:「アレ~帰るの?待ってればいいじゃん」

父 :「わしは待つのは嫌やけん、他をさがさい」

長男:「お母さんだったら絶対に待つし」

父 :「おお お母さんやったら待つのぅ」

で、松本楼却下、まあ銀座も近いし食べる場所はゴマンとあるわいと心に思いながら、銀座方面へ。ところが銀座は歩行者天国になっており人があふれています。とりあえずオートバイを路駐し(とても心配)銀座通りに出て見ましたが、おいしそうなレストランは道まで人があふれて並んでます。(ヤバイな)はやく決めないと遭難しちゃうな、

長男に父 :「帰りのPAかマクドナルドでもええか」

長男:「えええッ!絶対嫌だし」

(気を取り直し:困った時の京橋頼み)こういうときは、京橋に行く事にします。裏道をつないで京橋まで来ると、急に人影がまばらになります。休日の京橋はガラーンとした町です。銀座であれほど込んでいたスターバックも京橋なら「今日は休みですか」と言うような雰囲気です。で 食べる所ありました。以前から目をつけていた南インド料理の店、明治製菓本社のすぐ脇に有ります。日曜も営業しています。

この店は数年前にオープンした店ですが、その前は濁ったイケスが道路に面した日本料理屋が有りました。なんの特長もないつまらない店で目立ちませんでしたが、ある日突然おしゃれな作りの南インド料理店が開店し、いつかは行こうと思っていたのです。

店内はうす紫色の壁で、異国情緒が漂っています。店員のかたもキビキビしていて、厨房もピカピカです。そういえば飾り棚や明かりのコード、天井のファンもピカピカです。(この店きれいだな、開店して数年経てもこのきれいさは、只者じゃないな)気に入ってしまいました。ついでに長男にこの店のきれいな所とその意味する所を解説しながら、テーブルの上のテッシュペーパーの立てているコップを指差し、このコップのテッシュペーパーを抜いて底を見てもきっときれいに洗ってあるよ、と言いながらごそっとテッシュペーパーを取ってコップの底を見せてやりました・・・・まあそこのきれいさまで求めるのは(底)だけにちょっと無理が有りました・・・・。

料理はいわゆるインド料理のランチセットをおいしく頂き、店を出たのが14:00過ぎ、今から帰れば16:30には帰宅できると思い、来た道の逆をたどって帰ることにし、芝浦入り口から首都高速1号線を南下し、横浜新道~1国の順で店に向かいます。

今日は暖かで久しぶりに長男ともふれあい、充実した1日を過ごすことが出来て満足でした。いつも私が感じてる、高速道路はこの”1957式”にはつまらない道と言うことが長男にも実感として伝わり、ケツが痛いのも、排気ガスで目がショボショボするのも、共有した2006、3/5(日)はたぶん一生の思い出になると思います。

注)この記事は2006年3月9日(旧)兎屋ブログからの転載です。